矢作直樹著「おかげさまで生きる」

拍子抜け

 

帯にあった「肉体の死は誰にも等しくやって来ますが、死後の世界はいつも私たちの身近にある別世界であり、再会したい人とも会えます。」と、偶々目にした宣伝文に霊的世界との係わりについてのことがありましたので、ネットで注文しました。著者が東京大学医学部救急医療分野教授であることも、理由として大きかったです。救急医療の第一線で働く方が、霊的世界について語る内容と思いこんでしまいました。

 

しかし、実際は自分が想像していた内容とは大分異なりました。

自分にとり、新たな発見は殆どありませんでした。書店で手にし、少しでも内容を知ったなら、きっと購入しなかったと思います。

でも、これが縁なのでしょう。

自分も到達し、著者も何度もこの本に書いていますが、我身に起こる物事で、意味のない物はない、何らかの因果関係があるのでしょう。

 

著者の「人は死なない」を書店で確認してみます。果たして購入するでしょうか?

 

 

 

「人間を常に見守る大いなる存在を、私は神=摂理と呼んでいますが、それは創造主、普遍意識、真理、愛、大いなるもの、自然、大宇宙など様々な言葉で表現されてきました。」

 

私も色々な場所に立ち寄り、多くの先人たちに導かれ、最終的にはダンテ、スピノザ、ドゥルーズにより、その「大いなる存在」に到達することができました。ですから、よくわかります。

 

「人は死んだら終わりだと考える人にとっては、死が遠い存在となってしまうこ    とはありがたいことです。あの世を信じない人にとって、死ぬことほど怖いことはないからです。彼らにとって死とは、まるで人生という土俵から突き落とされるようなイメージでしょう。

多くの宗教にはそれぞれ、死後の世界や神の国についての固有の言及がありま    すが、今の日本人の生き方には、『「死んだら終わり、だから現世利益を得ることが大切』といった、現実的な姿勢がありありと見えます。これは非常に残念なことだと感じます。

古来、日本人は生と死を同一視していました。一万年を超える歴史を持ち、この世とあの世を精神レベルで自在につなぐことができた日本人は、死は単なる肉体死であり、魂は永遠の存在であると知っていたからです。

自分たちが大いなる存在に生かされている事実を知り、大自然と融合して生きることが最も大切だと知っていたのです。だからこそ、そうした霊性の高さを失いつつある現在の状況は困ったものです。

死に対する誤解や恐怖心は、それが未知なるものであるから生まれます。

死んだらどうなるかを知らないからです。まずは『あり得ない』という考え方を、自分の中から追い出してください。この世はわからないことだらけです。人間が知らないことのほうが多くて当然なのです。自在な姿勢で、多くの意見や様々な視点による情報を受け入れるあなたでいてください。」

 

「生きている間に起こることすべてに対して、『自分が責任をとる』『すべてを受け入れる』という姿勢を貫いてきたからです。心構えも覚悟も『心の準備』なのです。」

 

「今、二〇代の人たちには『心配しなくていい』とお伝えします。

何ごとにおいても、彼ら自身が怖がるとか不安がる必要がないからです。上の世代にはなかなか理解されませんが、彼らには生まれ持った霊性の高さがあります。それがあるだけで、そもそも怖がる必要がないのです。

メディアでは、この世代はあまりにも物欲がないとか、いろいろと揶揄されますが、私に言わせるとそれが当たり前です。余計な物欲が少ないのはいいことです。心身いずれにおいてもトラブルなく、慎ましやかに生きられます。」

 

「私は『お天道さま』という言葉が大好きです。

どこか妙に懐かしい響きがあり、どんな時でも私たちを見守ってくれる存在感が惨み出ているからです。お天道さまという言葉を知らない若い世代も多いかもしれませんが、この言葉には深い意味があります。

天道とは仏教における『六道』の一つです。

そもそも六道は人間が輪廻によって生死を繰り返すと言われる六つの世界であり、それは地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道です。

天道は太陽そのものを指すと同時に、天の神(万物支配の神)を指します。科学では天体が運行する道と解釈されます。」

 

「そしてお天道さま=良心という構図でわかるように、お天道さまはどこか遠くの空高くにいるのではなく、私たちのすぐそば、つまり私たちの胸の内にいつもいる、そう表現しているのだと思います。」

 

「西行法師による『なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさになみだこぼるる』の名句は、伊勢神宮を詠んだ一句です。ここに神道の本質、つまり古来、連綿と続いてきた日本人の信仰心が表現されていると思います。」