伏木亨著「だしの神秘」

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  甘味、塩味、酸味、苦味の4種類が基本味ですが、そこに5番目の味覚として「うま味」が加わることから、話が始まります。このうま味を科学的に分析します。

 我々日本人になじみ深い昆布と鰹節の合わせだしに、話は展開されます。昆布は、どのように食べていたかは不明ですが、平安時代の文献に献上品として記載されています。昆布だしは精進料理の中で発展したようです。

 一方鰹節は、鰹を大量に捕獲する術が開発される江戸時代中期になりませんと登場しません。合わせだしは更に後になります。一般家庭への普及は更に遅れます。引用してありますので、読んでみてください。

 

 家庭で鰹節を削った経験は私たち世代まででしょうか。懐かしい光景です。

 

 昆布だしが発展した、日本の風土、そして必然が解説されています。「なるほど」です。

 

 昆布も鰹節もその産地、製造法により、味も価格も相当な差があるようです。その成分比較にも科学的データが示されています。

 まただしを取る水の硬度によっても異なるようです。それにより関東風、関西風の味に分かれるようです。

 

また、うま味をはじめ味は味覚だけでなく、嗅覚に相当程度依存しているようです。皆さんも鼻をつまんで食べてみると分かります。

 

 この本を読んで、自分で昆布と鰹節の合わせ出汁を作ってみようと、近所にありますショッピングモールへ行ったのですが、昆布も鰹節も扱っていませんでした。高級品だからでしょうか。

 

 

 

「料理の専門書には洋の東西を問わず様々なだしが紹介されています。すべての原理を解説するとなると大部の事典になりそうですが、生理学的にみるとだしは実に単純な構造をしています。

『味覚成分、嗅覚成分、エネルギー成分』

 たった三つ。どんなだしも、この構造に収まります。

 こういった単純化は料理人には不満でしょうが、理系学者の目標とするところで、複雑な世界をシンプルに整理できるほど嬉しくなるものなのです。アインシュタインなんて、世界のエネルギーの姿をたった1行の式、

 E=mc²

 で表してしまったのですから、これには痺れます。

 さて、『味覚成分』は、うま味が看板役者です。うま味とは、人間の舌を刺激する『甘』、『塩』、『酸』、『苦』の4種類の基本味に加え、最後に発見された味で、特に日本人はこれを旨いと感じてきました。中国にも古くは『淡』という味覚があり、これはうま味のことであろうと考えられています。

 うま味成分は例えば、昆布からはグルタミン酸とアスパラギン酸などのアミノ酸。また、鰹節や煮干し、魚介などからは、イノシン酸、グアニル酸といった核酸成分が出てきます。逆に、これらのうま味成分がない液体は、一般には『だし』とは呼ばれません。

 二つ目の『嗅覚成分』とは、匂い物質です。だしの材料には数百種類を超える匂い成分があり、材料を煮込む過程で液体に抽出されていきます。これらの匂い成分は、じつは光と影のある厄介なものなのです。好ましい匂いも、嫌な匂いも、だしの中には溶け出てしまうからです。

 しかし、だしに求められている優先順位は明快です。うま味が最優先されて、材料が選択されてきました。匂いの良しあしは二の次です。その結果、うま味は強いけれど、匂いが悪いというだしがいっぱいあります。日本の昆布、鰹節、味噌なども、外国人からすれば悪臭と感じられることがあります。各国の食文化はうま味を優先して匂いに慣れることで発展してきました。だしの異臭に慣れることがその国の文化だとさえ私は感じています。

 だしの構成成分の三つ目はエネルギーです。カロリーといったほうがわかりやすいでしょう。材料からだしに溶け出るカロリーはわずかしかなく、特に日本料理の透明なだしに、カロリーはほとんどありません。京料理の有名料亭3軒のだしのカロリーを測ったところ、いずれも100ミリリットル中にわずか7キロカロリーほどでした。『清澄』という価値観を重視するだしは、カロリーには縁遠いのです。もちろん具材をたっぷり入れたら糖質や油脂やタンパク質のカロリーが高くなり、ダイエット食品にはなりません。あしからず。

 このような三つの構成成分のなかで世界のだしの文化が存在しているわけです。だしの味わいは人間の生存に大きく関わりますので、この構成成分の意味からお話ししましょう。」

 

「現代の日本のだしは干し昆布と鰹節を得て、非常に特徴的な形で完成しています。それは、うま味の相乗効果を巧妙に利用して到達した形です。このうま味の相乗効果については後に詳しく解説しますが、昆布などに多く含まれるアミノ酸系のうま味と鰹節などに多く含まれる核酸系のうま味を合わせることでシンプルながらも飛躍的に強いうま味を得ているのです。アミノ酸と核酸を意識して材料を選ぶなんていう高度なだしの技術を日常的に駆使している料理は、日本をおいて世界のどこを探しても他にありません。

『相乗効果』という言葉は会社の合併などでも使われます。記者会見でよく耳にするのは、

『両社の強みを出し合えば、さらに飛躍的な発展が期待できる』

『合併による相乗効果です』

 内実はどちらかの一方的な買収の場合が多いのですが、鰹と昆布の合わせだしの場合はそうではありません。人間の味覚閾値を使った実験では、それぞれ単独のだしの実に7倍ほどのうま味増強効果があると確認できます。」

 

「干し昆布だけ、鰹節だけでは、いくら増量してもこんな飛躍的なうま味の増加は生じません。反対に不要な雑味が増して、まずくなってしまいます。

 ここで、『相乗効果』の原理について説明をしておきましょう。まずは昆布のうま味成分のグルタミン酸とアスパラギン酸です。両者は炭素数が一つ違うだけの、兄弟のようによく似ている構造の遊離アミノ酸で、どちらも囗に入ると舌の上にあるうま昧受容体(味物質に応答する窓口のような役割を持つ)にくっつきます。すると信号が脳に伝わり、うま昧の感覚が生じます。

 一方、鰹節のうま昧成分はカツオの筋肉にある核酸のイノシン酸です。うま味受容体にくっついている遊離アミノ酸兄弟のもとにイノシン酸がやってくるとします。すると遊離アミノ酸兄弟は受容体にさらに強くついて離れにくくなります。イノシン酸が先に受容体についても同じことが起こります。

 遊離アミノ酸とイノシン酸が受容体から離れにくくなるので、うま昧の信号が強く長く脳に送られ、その結果が相乗効果として大歓声を生むのです。さらに詳しい『うま味』と『相乗効果』のメカニズムについては、3話で科学的にアプローチしますので、お楽しみに。

 さて、醤油や味噌のように、遊離アミノ酸と核酸の両方を含む食材もあるので、相乗効果は例えば昆布だし×醤油でも起こります。

『醤油差しの小瓶に昆布をひとかけら入れておくと、醤油がすごく美味しくなります』

 老舗料亭『菊乃井』の村田吉弘さんからお聞きした話です。実際、皆さんもこの原理にのっとったお料理をいくつも思い浮かべることができるのではないでしょうか。昆布だしを引いた湯豆腐をポン酢醤油につける鍋物などもこの理由からでしょう。

 また、鯛や平目など白身の魚にはイノシン酸がありますが、弱いものです。これら味の淡泊な魚を昆布で巻くとうま味が非常に強くなるので、昆布締めとして利用されています。富山県では昆布締めが特に盛んですが、液体同士だけではない、うま味の相乗効果といえるでしょう。」

 

「日本では、古くから昆布と鰹節が単独で主要なだしの材料として使われてきましたが、当初は合わせだしを意識したものではありませんでした。昆布だしの始まりは動物性食材を使わない禅宗の僧院ですから、昆布が鰹と出会うはずもありません。合わせだしになるための本格的な出会いは、もっと後の江戸時代になってからのことでした。しかも、國中博士によって科学的な説明がなされたのは、1950年代です。だしの長い歴史から見ると、つい最近のことです。

 鰹と昆布の合わせだしが家庭で一般化するのは昭和の初めごろからで、長い時代を経て、日本の料理は、最強のうま味の技術を得たのです。合わせだしの強いうま味は、日本人にうま味の存在を明確に意識させました。

 欧米では、これに匹敵するほど純度が高く強いうま味はありません。味覚は甘い、塩辛い、酸っぱい、苦いの四つが中心という考え方で、つい最近までうま味の存在自体、認識されていませんでした。

 最近フランスでも、うま味を理解すべき味覚の一つとして取り入れるようになりましたが、テキストに『うま味の認識』は少しむつかしいと書かれています。家庭料理を含め、フランス料理には強いうま味をわかりやすく感じられる食べ物がないからです。

 鰹と昆布の合わせだしがあれば、百発百中、これが『うま味』という味覚だとわかります。日本のうま味教育の強みです。

 世界のシェフにとって、まして一般の人にはまだ経験の浅い難解なうま味ですが、現代の日本人には子どもの頃から食べてきた当たり前の味で、小学生でも知っています。鰹と昆布の合わせだしの表現力の威力です。

 素材の持ち味を活かし丁寧で手間をかけた日本の料理が、さらにうま味を強化したことで、グローバルに受け入れられる味わいとして世界に広がる力をつけたと私は思います。」

 

「『引き算の料理』という日本料理の哲学ともいえる特徴は、西洋料理と比較することで際立ちます。西洋の料理は、素材の癖や欠点を香辛料や濃厚なソースで克服します。さらに、パンチの利いた味わいとか、驚きの味わいとか、目を瞠るような高級感とか、意欲的な演出も魅力です。ワインとの掛け合いもスリリングで、興奮します。

『攻める料理』

 そういえるでしょう。

 一方、日本料理がめざす味わいを一言で表すならば、

『さわりのなさ』

 であると思います。『障りのなさ』とも書けます。違和感のない調和です。

 地味に見えて、これを達成することは実は容易ではありません。

 日本料理の根底にはだしのうま味があり、だしは雑味を極度に削いでいます。あくまでも、素材の様々な持ち味を楽しむ料理なのです。素材の持ち味を邪魔するほど強い味付けのだしでは、すぐに飽きてしまいます。だしは余計な特徴を出さず、ただハーモニーの中心にある。だしのうま味を基調にした調和が、料理全体に流れているのが理想なのです。

 その調和を乱すのが『障り』です。突出した違和感や不都合なバランスは修正します。障りをなくすために様々な技巧が、『引き算』のように使われるのです。

 日本料理では材料の下処理に非常に手間をかけます。野菜の炊き合わせなど、何種類もの野菜がそれぞれの特徴を活かすために、別々に下処理され最後に合わされます。材料に違和感のある風味があれば、水や薄いだしにさらしたり、酒で煮たりして穏やかにします。硬すぎても、軟らかすぎても違和感が出ます。持ち味の特徴を壊さない程度に角を取って、つまり障りを取ってから、最後にだしの味で調和させるのです。

 障りを取る作業は、引き算と捉えられるようです。しかし実際は、持ち味を活かしながらも総合的な調和に向けた、大切な調整段階なのです。

 日本料理の特徴は、興奮させすぎず、飽きさせず、穏やかで、嫌な味もなく、さらりと時間が過ぎていく。最後に、

『なんか、美味しかった』

 と納得させるのが、料理人の狙いのように思います。

 日本料理にとってだしとは、なくてはならず、けれど主張は控える。奥ゆかしく、けれど揺るぎない強さを持った、やはり要に位置する存在なのです。」

 

「うま味成分をたっぷり含んだだしを受け取るのは、舌です。日本人は長い歴史のなかでだしを、舌で感じながら発達させてきたのです。ちなみに日本人の舌は特別に感覚が鋭いという国粋主義的な意見もあるようですが、そんなことはなく、世界中の人が同じ感覚の舌を持っています。

 舌には、味を感じる仕組みがあります。まず、鏡の前で、舌をべろーんと出してみてください。はずかしがらずに、おもいきり。よく見ると、舌の全体に赤い小さな粒があります。安心してください、病気ではありません。舌乳頭といって舌全体に散在しています。乳頭の赤い粒には味蕾と呼ばれる味を感じる細胞の集まりが数個ずつあり、その中の味細胞は様々な味成分を受容しています。先述の『うま味受容体』は、この味細胞にあります。

 乳頭は三つの種類があり、茸状乳頭は舌全体に散らばっています。以前は学会でも、舌の部位によって味の感じ方が違うという議論がありました。味覚で分ける舌の味地図も提案されていましたが、これは誤りで茸状乳頭には五味覚すべての味の受容体があることが確認されているので、舌の先だけでもすべての味を感じることができるといえます。さて、舌をもっと強く、あごをなめるように限界まで出してください。舌の奥が暗ければ懐中電灯が便利です。舌をわずかに横に向けると、うーんと奥のほうに、中央から左右へ渡り鳥の編隊のように、それぞれ4、5個ずつの少し大きな粒がきれいに並んでいるのが見えるはずです。整然と可愛く並んでいるので、これが見えたらおかしくなります。さらに、舌を左右にグルンと大きく振ると、舌の奥の両端の側面には、まるでフカのヒレのような切れ込みが数本あります。

 この舌の奥にある渡り鳥の編隊のような少し大きな赤い粒は有郭乳頭、舌の奥の両端にあるフカのヒレのような切れ込みが葉状乳頭。この二つの舌乳頭の領域で、私たちはうま味や苦味、そして酸味を特に強く感じているのです。だから、うま味は舌の奥で感じられる印象があります。

 舌全体にある味蕾の味細胞、受容体で味を感じるわけですが、塩味、甘味、酸味、そしてうま味の受容体の種類は、それぞれ1種類か多くても2種類です。ところが苦味の受容体だけは25種類。受容体の種類が突出しています。なぜ苦味だけ、と不思議に思うかもしれませんが、これは人間が生きるうえで必要なリスク管理能力なのです。苦いものは毒物だから吐き出さねばなりません。だから多様な苦味受容体が必要なのです。

 この舌の世界は壮大です。長さ7~8センチの舌を総面積6千ヘクタールの山手線内に見たてるとしたら、最も大きな有郭乳頭でも中心部の直径は2ミリ以下で東京ドームくらいの大きさ。これが舌の奥に8~10個ほどあります。これらの有郭乳頭に散在する約200個の味蕾は直径が40ミクロン(004ミリ)くらいなので、大柄の野球選手くらい。さらに味蕾の中に40個ほどある味細胞にいたっては野球のボール程度という大きさです。気が遠くなるような壮大な距離感で舌の小宇宙が構成されているということなのです。味成分をキャッチする受容体タンパク質は、ボールの縫い目一つより小さいくらいです。」

 

「よいだしを囗に含むと、いつまでも消えない味わいの余韻が心を満たし、したたかなコクを感じさせますが、その余韻、コクの正体を突き止める手掛かりはあるのでしょうか。

 2002年に、食べ物のコクを考えるシンポジウムを企画したことがあります。コクとは何かは、当時から興味のある話題でしたが、その実態は未解明でした。コクの感覚を共有するための議論がなされたなかで、だしのコクに触れた研究者がいました。

『よく調理されただしのような食べ物、つまり本格的なだしは長く余韻を引く』

 聴講していた食品開発の現場の人たちも深く頷いたことを記憶しています。

『この余韻は、時間的、空間的な広がりを持つ』

 という表現もありました。

 だしの『本物感』は、これにぴったり当てはまります。だしの余韻はコクとなって、本物感を醸し出しているようです。

 だしの余韻がどこから来るのかは興味深い問題ですが、グルタミン酸のうま味液では、この余韻のふくらみが感じられないのです。だしの余韻は味覚だけではうまく説明できません。おそらく匂い成分が関係していると、私は推察しています。」

 

「料理を囗にするとき、鼻をつまんで食べたことはあるでしょうか。ぜひ一度、自分の体で実験を。間違いなく驚きますよ。

 大学の授業で、鼻をつまみながら『おかき』を学生に食べてもらいました。途中で鼻を開放するように指示すると、教室じゅうに『わあーっ』と一斉に声が上がりました。

『ぜんぜん、違う!』

『鼻を開放すると、たくさんの味が足される』

 同様のことを、京都新聞の主催で行った食育の出前授業で、京都市内にある柏野小学校の児童相手に試しました。授業のタイトルは、『チョコの秘密』。

 チョコを食べながらつまんだ鼻を開放すると、

『あれー、味が変わる』

『美味しくなる』

 小学生も同じ反応です。

 私たちが感じるチョコレートの味のかなりの部分は、実は匂いがあたかも味のように働いたものです。

 囗に含んだ食べ物の匂い成分が鼻に抜けるときに、嗅覚を刺激するのです。囗に含んだので、頭は味覚だと錯覚します。

 これまで私自身、いろんな食べ物で鼻をつまむ実験をしてきました。

 最も強烈な経験は、国産黒毛和牛のステーキでした。和牛らしい味わいは、嗅覚だと断言できます! 読者の皆さんも試してみてください。

 だしの美味しさにも、匂いの影響は小さくありません。鰹と昆布の合わせ一番だしは、鼻をつまんでもうま味は感じられます。でも弱く、単調です。次に鼻を開放すると、本物感、高級感といった感覚があふれます。だしの本物感にも、香気が必要だと実感します。」

 

「香りがなくては味わいが存分に感じられないわけですが、匂いには懐かしいような、どこか落ち着く感覚があります。だしにもこの『懐かしい』という感覚が起こりますが、それはなぜでしょうか。

 食べ物の記憶は、実はほとんどが味よりも匂いの記憶です。匂いの認識は味覚よりも解像度が高いので、微細な匂いの違いもはっきりと区別し長期間ブレないと言われます。4種類の基本味の受容体がほぼ1種類ずつなのに対して、苦味の受容体は25種類あると先のぺージで述べましたが、匂いの受容体にいたっては400種類ほどもあります。苦味の受容体同様、匂いの受容体の種類の多さは危機管理のためのものです。匂いは危機管理にさらに徹していますので、400種類の受容体で多くの匂いに対応し、しかも感度もとびきり高いのです。だから匂いは環境の変化を敏感にキャッチすることができます。天敵が近づいてきたら逃げねばなりません。焦げくさい匂いがすれば、ガスの火を止めなければなりません。すべて危機管理のためなのです。

 一方で、このような鋭敏な危機管理機構を使って人間は、食べ物の微妙な美味しさを楽しんでいるわけです。懐かしい味わいや本場の味わいなど、食べ物の記憶に関わる感覚は嗅覚が担っていると考えられています。

 ただ、匂いの記憶は、記憶する際に明確に形容できるような共有の言葉がなく言語化されないので、言葉で引き出すことはできません。一方、色は基本色の数が少ないので、赤色、青色、黄色など明確な記憶の言語化か可能です。

 例えば、あなたの上司の昨日のワイシャツの色。これも言葉での記憶が可能です。

『すこしくすんだ水色に、黒いストライプ、趣味の悪い白いベルト』

 などと説明できます。

 では、あなたの上司のワイシャツの匂い。これは、皆が明確に共有できる言語では形容できません。

『動物園の狸の檻の匂いのような汗臭さ』

『前に家で飼っていた猫のおしっこの匂い』

 など、無理やり自分の言葉を持ち出さねば、説明できないかと思います。このように匂いには言語を共有できない複雑さがあることがわかります。

 ワインのソムリエたちの香りを形容する言葉をみても、匂いには境界線を引けない複雑さがあるのだとわかります。

『日なたの土の匂い』

『濡れた犬の匂い』

『馬小屋の敷き藁の匂い』

 なかなか文学的で、ワインに慣れない人には高度な表現でもあります。

 ですが、このようにワインの匂い成分に無理やり自分で複雑な独自の言葉をくっつけて覚えていくのです。一般人には珍妙な表現に聞こえて、多くはソムリエのあいだでの共通語になっています。

 かつて体験した匂いを明確な言語に表すのは無理なのですが、食体験ファイルにいつまでも記憶されます。これらは、おなじ匂いに出合うと『あの時の匂い』という形で、はっきりと思い出せます。

 匂いの記憶が手掛かりになって、珠数つなぎに様々な経験が浮かぶ体験が、誰にでもあると思います。

『マドレーヌを熱い紅茶にひたして囗にしたとき、幼いころに家族で避暑に行った島の風景や、道がありありと目の前に現れた』

 プルーストの小説『失われた時を求めて』です。

 実はこの話、小説の中では匂いがきっかけであったと、はっきりとは書かれていないといわれていますが、実感を共有する人が多いので『マドレーヌ効果』として広まっているようです。

 匂いは、記憶の背表紙のような手掛かりになっています。嗅覚は視覚や聴覚と違い、脳の扁桃体と海馬という、記憶と感情を処理する部位に接続されているため、香りなどが記憶を呼び起こすトリガーになっているのです。いわゆるマドレーヌ効果も、この脳の記憶のメカニズムで説明することができます。

 ここでは紅茶でしたが、私たち日本人にとっては、生まれたときから親しんできただしの味わいで浮かぶ記憶が無数にあるはずで、『懐かしさ』を覚える匂い、そして味わいになるわけです。」

 

「日本料理のコースについて、『どの料理もどこかよく似た味わい』と評した外国人シェフがあります。『長く平坦な道のりを、ゆっくりと歩いていくような料理』という意見は日本料理の好む穏やかな調和をややシニカルに指摘しています。確かに、だしの味わいの静かなトーンがすべての料理の根底にあります。

 なぜ、だしをこれほど重視する料理の文化ができあがったのか。それは、日本にはだしのほかに美味しいものがなかった、と言わざるを得ない歴史があるからです。

 3話で詳しく述べたように、動物や人間は油脂と砂糖とだしの美味しさに執着します。しかし、日本には長らく砂糖と油脂がなかったのです。例えば『今昔物語』と、それを題材に芥川龍之介が書いた小説『芋粥』には、平安の下級貴族が夢にまで見た甘い芋粥を食べる話があります。そこには人間の甘味への強い欲求がよく表れていて切実です。

 一方、経済が発展した国では油脂の摂取量が増すという統計があり、油脂の美味しさも人々の羨望の的です。

 これら万人が渇望する砂糖や油糧植物には国家規模の戦略的な争奪が繰り返されてきた歴史があり、サトウキビやパーム油の生産地の確保は植民地主義の目的の一つでもありました。

 糖と油脂が豊富に供給される素地を持って食文化を発展させた列強の国に対して、鎖国時代の日本では、砂糖は高価な金銀と引き換えに西洋から輸入したものと、薩摩藩が半ば秘匿した琉球ルート以外には少量の国内生産でしか得る道はありませんでした。砂糖はあったものの、高級品だったのです。油脂や肉にいたっては、仏教の影響で奈良時代から獣肉の摂取が禁じられ、明治に至るまで食べることを許された動物は限られていました。植物性の菜種油はあってもほとんどが灯明として燃やされ、油脂の美味しさを満喫することはありませんでした。江戸時代にてんぷらの屋台が登場しますが、江戸庶民の大変なご馳走であったに違いありません。

 そんな抑制された食の歴史のなかで、日本人の食の満足感を満たしてくれたのが、国内で手に入るだしのうま味と塩の味わいでした。うま味は後述するように油脂や砂糖に対抗できる食の快感を与えてくれます。その結果として日本には、だしを中心とした食の文化が花開くことになります。」

 

「日本のだしのうま味における最大の供給源は昆布です。古の日本人はどうして昆布を食べる気になったのでしょうか。沿岸に生えているので採取はかんたん。海が荒れた日の翌朝には岸に打ち上げられることも多く、青森県では、今でも浜で昆布を拾う風習が残っています。

 昆布は、見かけは少し不気味で浜に引き上げると、ともかく大きくて重い。けれど、これが食べられたら空腹が満たされると誰もが期待したはずです。寒い地方の昆布はうま味成分のアミノ酸の含有量が多いので、うま味はあるし煮汁も旨い。昆布を食べるようになることは必然です。

 ちなみに日本で初めて昆布が文献に登場したと言われているのは平安時代初期に編纂された『続日本紀』で、朝廷に献上されていたようですが、どのように食していたのかはわかっていません。

 肉食が禁止された時代、その推奨者である寺院は食の満足感に対して非常に意識高く料理をしていました。寺院の精進料理は、いわば、野菜が肉の満足感に代わるほどの、優れた調理法を目指していたのです。

 禅宗の寺院では、料理も大切な修行のひとつと考えられており、料理を担当する僧は位が高かったのです。道元(120053)は仏や祖師への供膳を司る役職の『典座』のために、『典座教訓』といういわば料理の心構えの書を残しています。精進料理では、『いのちを丸ごといただく』という心構えで、野菜を材料に工夫を凝らして美味しく調理することが修行として求められました。

 食の満足感を野菜で実現しようとする素地があったのです。ここに、昆布や野菜の乾物、干し椎茸のうま味や香気が大きな役割を果たしました。洗練された調理の技法に加え、海藻や野菜のだしからとったうま味で食の満足感を得たのです。

 幸い、高温多湿の気候は、農水産物の保存技術を発展させ、特に微生物発酵は食材にうま味を与える味噌や醤油などの調味料を発達させました。日本国内ではカビや酵母はどこにでも生息しています。微生物の生育環境には最適です。食が欧米化した今日でも日本人の食の満足感の根底にこうしただしのうま味が潜むのは、うま味だけで食の満足の実現に挑んできた長い食文化の名残であるといえるでしょう。

 昆布のだしは寺院から広がり、鎌倉時代、室町時代の武士階級の質素な本膳料理として定着しました。精進料理は、早くから日本料理の技術革新を担っていたのです。その成果は、現代日本料理の技術の基盤となったといえます。

 このようにして、昆布だしの利用は確立されましたが、もう一方のうま味である鰹節の本格参入にはまだ時間が必要でした。実はカツオの漁は、江戸時代初期までは原始的な方法のままでした。漁師が一人舟で沖に出て一匹ずつ釣り上げたのですから、魚を干して保存することはあっても大規模に鰹節を作る余裕はありません。鰹節の発展は江戸時代中期のカツオの大規模漁業によって、ようやく実現しました。これらについては、このあと詳しく解説します。」

 

「鰹節の独創性は、その加工法にあります。煙で燻すと保存性が高まります。乾燥によって水分を減らすことと、煙の中に含まれる多種類のフェノール化合物が殺菌・静菌作用を持つからです。昔の学校の保健室には入り囗の中に必ずフェノール溶液がホウロウ製の白い洗面器に入れて置いてありました。ここで手を消毒したものです。あの強いフェノール臭は鰹節にも含まれる共通の匂いでした。

 また、フェノール類は酸化を抑える作用もあるので、鰹節に残る油脂分の酸化を抑え異臭の発生を止める作用もあります。

 冷凍技術が完備された現代でも、燻す加工法は廃れませんでした。煙成分が染み込んだ香ばしさや独特の風味が鰹節の貴重な個性だったからです。2015年ミラノ万国博覧会はテーマが『食』であり、日本食関連のイベントが多数ありました。京都の料理人も大勢参加して料理を披露しましたが、一番困ったのは燻した鰹節が手に入らなかったことでした。EUは燻した鰹を安全と承認していないので食材として輸入できなかったからです。現地で手に入った韓国製の鰹節は燻されていないので、魚の生臭さや酸化臭が強すぎて困ったといいます。燻すことは、日本食の嗜好性という面でも必須の加工技術であることがわかりました。

 薪を使用した焙乾法が全国に広まるのは18世紀中ごろ、江戸時代後半以降といわれます。カツオ漁の盛んな土佐の独占的な技術でした。この当時、土佐藩鰹節の製法は門外不出でしたが、漁民・土佐与市(本名善五郎/17581815)が土佐藩の禁を破って土佐節の製法を藩外に教えたと伝えられています。けれど、全国一般にこの製法が確立されるのは明治時代に入ってからです。

 6話で解説するように、毎日煙で燻して、夜間は静置する。これを1015日間も繰り返すのです。職人の徹底した執念というしかありません。日本の職人の文化では、この執念深い作業が随所に感じられますが、鰹節などはその典型例ではないかと思います。」

 

「カビ付けという加工法は、普通は思いつきません。燻製した鰹節にわざわざカビを付けて、それを何度も繰り返すというアイデアは、常人の発想ではないと私は感じます。元禄期(16881704)までは、カビ付けをしない荒節が流通していたので、偶然カビが生えたら案外美味しくなったという、偶然の産物である可能性が高いようです。

 このカビ付けを数回以上繰り返したものを本枯れ節と呼びますが、これも執念の技です。カビを塗布して何日も寝かせ、表面を拭き取ってはまた繰り返すのです。カビ付けによって、腐敗菌から守る。これも大した知恵です。生産地から江戸まで運ぶ間にカビてはいけないという発想です。鰹節の産地であった薩摩から江戸までの運搬には時間を要します。やはりカビ付け前の荒節の状態では節の劣化があったようです。

 冷凍技術が発達した現代では、保存よりもむしろカビによって脂肪酸が分解され、だしの濁りがなくなるというのが、カビ付けを続ける大きな理由です。現在も、料理をする人からの情報のフィードバックによって加工技術が高まっています。

 また、関東は枯れ節、関西は荒節をよく利用するという地域性があります。その理由は明らかではありませんが、薩摩などの生産地から遠い江戸では、本枯れ節でないと輸送中の腐敗に耐えられなかったのが、文化として定着したのではないかという説もあり、理にかなっていると思います。」

 

「昆布だしの成分を比較する浜は、利尻昆布の代表浜として老舗料亭に人気の三つを選びました。礼文島の香深浜とすぐ近くの船泊浜、利尻島の仙法志浜です。参考として別の海域で定評のある尾札部浜(函館市)の真昆布を加え、全部で四つの浜の最高級昆布を使いました。

 私たち大学関係者の舌だけでは頼りないので、京料理の老舗『木乃婦』の若主人である高橋拓児さんの協力を請い、昆布・鰹節、水の選択、だしの調整にもご協力いただきました。分量やだしを引く湯の温度、時間などは温度計とストップウォッチを駆使し、だしを引く実験条件を徹底してそろえました。

 使用した鰹節は高橋さん推薦の鹿児島・枕崎産。血合い肉を除いた高級な本枯れ節を削って使用し、水は木乃婦の井戸水(硬度42)を使用しました。昆布単独ではなくて、合わせだしにしたのには理由があります。人間の唾液中には微量のグルタミン酸が含まれており、また昆布中にはアミノ酸や核酸以外にも、うま味と間違えやすい味が存在する可能性もあります。連続して検査すると、水で囗をすすいでも前の味が残ることもあります。弱いうま味のレベルで比較するのは不安定なので、鰹節を添加して相乗効果を最大値にした条件設定で比べたのです。

 さて、飲み比べると、やはり昆布の生産浜によって、鰹昆布だしの味に違いがあります。日本料理の専門家の高橋さんは、明らかに違うといいます。私のような料理の素人にも、神経を集中すれば違いはわかりました。浜を指定して利尻昆布を求める料理人が多いのもうなずけます。また、真昆布の尾札部は利尻昆布の三つの浜よりもうま味の濃さが際立っており、先述の和食文化国民会議での実験と、同じ結果でした。それぞれのだしでうま味成分の分析をしましたが、後述するようにうま味成分の含量は飲んだときの味わいの感じとよく一致していました。

 できあがっただしは、日本食品分析センターで詳細な成分分析を行い、味わいに関係のある測定値を表に示しました。表からわかるように、まずグルタミン酸の濃度がそれぞれ違います。尾札部の真昆布の味が濃く感じられたのは、なるほどグルタミン酸の量で説明がつきます。さらに興味深いのは、グルタミン酸とアスパラギン酸の濃度の比率が大きく異なることです。グルタミン酸とアスパラギン酸は同じうま味でも印象が多少違います。

 同じ味覚でも物質によって印象が違うのは、食品開発に携わっている人は皆知っています。果糖と砂糖はどちらも甘いけれど、味わいの印象は大きく違います。果糖は砂糖よりもさっぱりした甘味です。甘味受容体が1種類なのに甘味の質が変わることの理由は、現代の味覚生化学ではまだうまく説明できません。

 うま味物質も同様です。少なくとも、昆布の生産浜が異なるとだしの味に違いが出ることは確かで、分析値に違いがあることからもわかります。

 うま味だけではなく、風味にも大きく影響されます。浜ごとの違いは、実は味わいよりも風味のほうが鮮明でした。しかし、昆布には何百種類もの香気成分があるので、現代の科学では、香り成分の分析値から風味を比較することはまだできません。当分の間、風味は感覚に頼るしかないでしょう。

 ともかく、浜によって昆布の成分が同じではないということは重要です。その理由は海水の温度や栄養素、日照などでしょうが、今後、原因の詳細な特定が進むことと思います。今の時点では、

『風味や味わいが違うという結果は明らかだが、その理由は複雑』

 という結論で、科学的な解析にはもう少し時間が必要です。」

 

「昆布の価格である建値は生産者と販売業者の代表による話し合いで決まります。その年の収穫量によって価格は変動し、市場での評価の高さも価格に反映されます。天然も養殖も、昆布の価格は産地における出来値、つまり浜で売り手と買い手が妥結した価格として発表されています。

 日本昆布協会の調べでは、平成25年度の例で真昆布の高級品『白口浜天然元揃』で10キロあたり3万5千円。だし汁の清澄さ、味わいの上品さが特徴です。利尻昆布は同5万2

300円。だし汁は清澄で香り高く、特有の風味が喜ばれる高級品です。羅臼昆布の天然ものは同3万9千円。味が濃くて香りがとてもよく名品の誉れ高い昆布で、人気が高く高級品です。釧路産の長昆布は同1万5500円。柔らかい性質なので、『野菜昆布』とも呼ばれ、おでん、早煮昆布などに特に用いられます(出来値ならびに性状の解説は、『昆布手帳』資料編による)。

 これらは浜での建値ですから、店頭で買う場合にはどの昆布も、もっと高い値段がついています。養殖より天然もの、養殖の1年ものより2年目ものが高価です。

 また、先にも『昆布の2等級を奮発』などと書いたように、昆布には等級があり、それは昆布の種類によっても異なります。だいたいの場合1~6等級までありますが、ここでは利尻昆布の場合を例に、簡単にご説明します。

●1等の規格

 両端(耳)と根昆布を切り落とした、葉もと(切り囗)から90センチの部分で幅が5センチ以上、重さが55グラム以上のもの。さらに色、艶が良好であること。

●2等の規格

 両耳と根昆布を切り落とし、葉もとから75センチの部分の幅が3センチ以上、重さが40グラム以上のもの。

 また幅の広さと重さで4等までランクがあり、それ以下は加工用1等、加工用2等と下がっていきます。」

 

「鰹節は昭和の半ばぐらいまでは、まだ一般家庭で削って使うのが主流でした。皆さんのなかにも小さな頃にお手伝いとして鰹節を削った経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。我が家では、これは男性の仕事でした。私も父に教わり毎朝削りましたが、粉になりやすく白木にカンナをかけたような立派な削り節はほとんどできなかった記憶があります。最近知ったのですが、乾物屋で売られている立派な削り節は節を湿らせてから削るそうです。子どもの私がうまくいかなかったはずです。

 限界まで削った後に残る小さな塊は、囗の中に放り込みます。これが鰹節を削る人の役得です。囗の中で淡いうま味がゆっくりと染み出し、いつまでも楽しんだ記憶が蘇ります。

 鰹節は手に持つと意外に重みがあり、透明なガラス質が美しく、二つ合わせて鳴らすとカーンと高くいい音が響きます。生のカツオがあのガラス質の一本になるまでには、おびただしい数の工程を経ています。加えて、一本ずつ手作業で処理しなければならない工程を含む手間のかかる仕事です。生のカツオがどうやって鰹節に仕上がるのか、伝統的な方法を参考にして、その手順を追ってみましょう。

 

【鰹節ができるまでの作業手順】

前処理:漁獲されたカツオは、船上で高速冷凍、漁港に着いてから解凍され、頭、腹皮、背皮、内臓を除去します。身は包丁で三枚におろされ、さらに2枚の片身はそれぞれカーブをつけて腹側と背側に切り分けられます。カツオをおろすのには専用の鰹包丁があり、背びれを切る包丁、頭を切る片刃の包丁、身をおろす包丁などがあります。

  二つに切り分けた片身の背の部分を男節、腹の部分は女節、合わせて夫婦節といわれ、鰹節が縁起ものであった名残です。

煮る:おろされた身を籠に一本ずつ並べ、80℃の湯で15分程度、その後95℃前後で1時間 煮ます。沸騰させないのは煮液の泡立ちによる煮崩れを防ぐためです。最初の時点でカツオの筋肉細胞は熱変性し、代謝が止まります。

骨抜き:煮終わった身から骨が除去されます。一本一本、棘抜きで小骨を引き抜く手間のかかる作業です。

一番火の焙乾・修繕:骨抜きした身を、今度は焙煎倉庫に移します。焙乾は、樹脂の少ない広葉樹の薪を燃やし煙で燻す燻蒸を行います。1回目は特に『一番火』、別名水抜き焙乾とも呼ばれ、90℃くらいで1時間ほど軽く燻して表面の雑菌を殺すことが主目的で す。修繕は、一番火のあとにパテによって欠損箇所や崩れた部分を文字通り繕う『整形』と呼ばれる作業を一本一本行います。これも手間のかかる作業です。

焙乾(庵蒸・乾燥):その後、本格的な焙乾に入り、日中に500℃近い温度で1日5時間ほど燻して夜の間に『庵蒸』というお休みを入れ、これを1015日間繰り返します。こうするとカツオの水分は28%くらいにまで乾きます。火が弱いと乾きが遅く、火が強すぎると滑らかに仕上がりません。熟練の技術です。

『荒節』:乾燥を終えると『荒節』ができあがります。表面にこびりついた煙のタールをグ ラインダーという機械で削り取ります。タールを削り取ったばかりの荒節を裸節と呼び、美しい赤茶色の姿をしています。このまま鰹節として出荷されるものも多くあります。

『枯れ節』:荒節のグレードをさらに上げるカビ付けの工程です。温度2528℃、湿度85%前後に設定した庫内で裸節にカビを発生させます。市販されている優良カビを使う方法と、自然にカビの生育を待つ方法があります。後者では、カビ付け専用のそれぞれの室には長年作業に使ったカビが棲みついており、最初の1回は1~2週間かけてカビの生育を待ちます。最初に発生するのは青カビであるペニシリウム属が主体のカビで、これを一番カビといいます。実は青カビは欲しいカビではないので、ブラシで払い落とします。次のカビ付けに2週間ほどかけ、青カビより少し青みが弱い二番カビが生えます。カビの色が薄い灰緑色になってきたらいい感じです。これも払い落として、三番カビの工程へと進みます。カビ付け時間は後になるほど長くなります。四番カビを払えば作業終了。二番カビ以降はカビの種類が変わり、麹カビのアスペルギルス属が主体になります。

  カビ付けを繰り返すことで鰹節から燻煙臭、生臭さ、酸味が減少していきます。カビ付け庫に入れ、時間をかけて上品な味わいを目指す発想は、昆布の蔵囲いと共通しています。カビ付けを3~4回繰り返したものが本枯れ節と呼ばれます。本枯れ節の最終産物では、水分含量がわずか13%にまで低下します。これは、熱乾燥では容易に到達できないほどの低い水分レベルです。

  できあがった鰹節は、ガラスのように硬くなり、鰹節同士を拍子木のように打ち合わせると高い透明な音がします。執念ともいえる技で本枯れ節は完成します。」

 

「鰹節製造のなかには、前処理段階でカツオの血合い肉を丁寧に取り除くことで、筋肉以外のタンパク質や血液成分や鉄分などによる好ましくない味わいを低減し、グレードを上げる工程が加えられるものもあります。特上品であり、セレブな鰹節です。

 東京学芸大学の食品学の研究者、福家眞也教授が、特上の鰹節と並のグレードの鰹節の成分の違いを分析しています。特上品の特徴は水分含量が低いこと、グルタミン酸が多いこと、タンパク質の分解があまり進行していないこと、などを挙げられています。水分含量の低さはカビ付けの回数や良否の成果です。タンパク質の分解が少ないというのは、新鮮なカツオが使われていたものと考えられます。

 また原料となるカツオがどのような状態で処理場に届いたかは重要です。結論を言えば鰹節のうま味には、イノシン酸が多いほうが望ましいのです。イノシン酸は、魚の筋肉のATP(アデノシン三リン酸)の分解途中の核酸で、魚が死んでから一時的に増加し、最大値に達してから消えていきます。その後は鮮度も悪くなる一方です。ですから、食べると最もうま味が強く鮮度もいい時期に煮てしまえれば最高なのです。原料となる魚のうま昧を維持する方法には、急速冷凍、活き締めのタイミングによる死後硬直時期の調節、死後硬直から短時間での熟成などが考えられ、こだわりのある製造者によって工夫されています。

 海域によって、カツオが摂取する栄養分が異なることから鰹節の昧が違ってくるとも言われます。特に九州近海の黒潮では甲殻類の摂取が多く、イワシなどの多い海域のカツオよりも雑昧の少ない鰹節に仕上がるという話も聞きます。しかし餌との関係はまだ十分には解明されていません。

 美味しい鰹だしの条件としては、酸味や渋みなどの雑味がないことが一般に求められます。酸味はカツオの筋肉に溜まった乳酸が原因であり、筋肉タンパク質に多いヒスチジンも苦味や渋みを出します。

 グレードにかかわらず鰹節には必ず含まれているものなので、余計な雑味を感じさせないだしにするためには、材料の良しあしのみならず、そのだしの引き方による影響も大きいと思われます。

 例えば薄削りをほんの数分で濾してしまうのは酸味や渋みを出さないコツであると料理人は言い、その通りだと思いますが、上品なものから濃厚なものまで鰹節にも個性があるので、用途に応じた素材選びと引き方の合わせ技が必要なのです。」

 

「水の硬度が違うと、本当にだしの昧が違うのでしょうか。評論家の誇張された感覚ではないかと疑う方も多いと想像します。

 ある時、和食文化国民会議の主催で、硬度の異なる水を使った鰹と昆布の合わせだしを、公開で比較したことがあります。伝統のだしを各地域に普及させる活動のためには、水が変わるだけでだしの昧が大きく違っては困ります。

 場所は、皇居外苑の楠公レストハウス。総料理長の安部憲昭さんが今回も全面協力してくれました。安部さんは江戸の食文化の紹介に力を入れてきた料理人です。昆布は利尻の2等級で、鰹節は枕崎産。

 さて、公開実験では水の硬度を3種類用意しました。水は国内で市販されている、硬度80mg20mg/ℓのミネラルウォーターを使いました。

 80mg/ℓは沖縄や関東の水の平均値に近い硬度です。20mg/ℓは超軟水です。

 これらを50%ずつブレンドして硬度50にすると、京都の料亭の水に近くなります。

 硬度80mg/ℓの水では昆布の膨らみはよくありませんが、最終的なだしの味はシャープで、昆布よりも鰹節の風味がやや目立つ味わいでした。関東的な好みの味といえるでしょう。

 硬度50mg/ℓの水で引いただしは、当然ながら関西人が食べ慣れている京都風でした。うま味の強さは三つの中で最も鮮明でした。

 硬度20mg/ℓでは、味や風味が濃く出すぎるような、透明感に欠ける味わいでした。

 150人の出席者も、だしの飲み比べに参加しました。同じ材料でこれだけ異なった味わいのだしになることに、一様に驚いたようでした。硬度50mg/ℓだしを好きだと答えた人が多かったのですが、80mg/ℓのだしを好む大も少なくありませんでした。参加者は、水の硬度の違いによってだしの味がかなり異なることを実感し、納得されました。」