井上史雄著「新・敬語論」

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副題に「なぜ『乱れる』のか」とありますので、言語学者が敬語の乱れを批判し、正しい敬語表現を示す書かと思って読み始めましたら、異なっていました。
著者は敬語の誤用に関して、寛容です。気にはなるが、誤用と感じない人が多くなるのであれば、そちらに変化していくであろう、と予測します。「ゆれ→慣用→正用」と。
私はマニュアル敬語――コンビニご用語、ファミレス用語、コールセンター用語――が気になって仕方なく、批判的ですが、著者は違います。合理的、経済性がある、と。
高校生や大学生、更に外国人に正確な敬語を話せるよう訓練――研修――することは難しいですし、時間がかかります。

それにしましても、二重敬語は気になります。

地方により敬語の使用方法が異なること、仕様の発信地があることを知りました。

敬語に「敬意低減の法則」や民主化・平等化が働くことを知りました。しかも、それらはほぼ全ての言語で起きているそうです。

また、敬語については尊敬語、謙譲語、丁寧語の三分類と教えられてきましたが、最近では五分類、六分類に分ける場合もあるようです。
そして、使い方が難しい尊敬語や謙譲語――特に謙譲語――は使われなくなりつつあるそうで、丁寧語に偏っていく方向だそうです。

受けて敬語、指針敬語、所有者敬語など初めて目にするテクニカル・タームが沢山出てきます。少し読み辛いです。

自分にとり興味ある内容でしたので、引用が多くなっています。3万文字を越えます。しかし、皆さんも成るほどと思う内容ですので、目を通してみてください。

「最初に、敬語を、形の作り方という観点から2分類する。以下の説明でも使う。
まず『つぎたし敬語』は『一般形、付加形、敬語添加形式』とも呼ばれる。『お~なさる』『お~になる』『お~だ』『(ら)れる』の類で、ふつうの動詞の前や後に付ける。規則的に作れる点で、やさしい。
対をなすのは『言いかえ敬語』で、『特定形、補充形、敬語交替形式、融合形式』とも呼ばれる。これは『いらっしゃる』『召し上がる』の類で、個々の動詞について暗記する必要がある。英語の不規則動詞と同じで、よく使われる動詞に用意されている。数が限られているとはいえ、使いこなしにくく、難しい敬語である。「

「尊敬語は、動作主を『高める、たてる』働きを持つ。『仕手敬語』とも呼ばれる。相手(話題に出た高めるべき人物)に関して使う表現で、敬語の一番の中心、典型である。ことばの形自体が変わる言いかえ敬語と、つぎたし敬語を使えば、理論的にはすべての動詞を尊敬語にできる。原理的には、まず言いかえ敬語があるときはそれを使い、ないときにつぎたし敬語を使う。本書でも言いかえ敬語を先に取り上げる。ことに二重敬語が話題になるので、最初に取り上げる。」

「敬語の乱れとして挙げられる中に尊敬語の例があり、その一つが過剰な敬語である。会社で新入社員が先輩を見習って覚える敬語は、パターン化した敬語である。マニュアル敬語ですませているうちはいいが、先輩のことばをまねていると、誤用を受け継ぐことがある。典型が二重敬語で、『おっしゃられる』『いらっしゃられる』『お立ち寄りになられる』などの仲間である。本来の敬語『おっしゃる』『いらっしゃる』『お立ち寄りになる』で十分なのに、さらに『(ら)れる』をつけている。これは『敬語はすり減る』という心理的現象、使っているうちに効果が薄れ、同じ語形の敬意の度合が下がる現象、『敬意低減の法則』によって生じた。
1952年の国語審議会『これからの敬語』の解説で、すでに(『お帰りになる』の型を『お帰りになられる』という必要はない》と書いている。前もって結論を言うと、使わないほうがいい。しかし使っている人がいたら、善意に解釈して、温かく受け止めよう。
二重敬語はあげつらわれる。言いかえ敬語とつぎたし敬語を重ねた実例を挙げよう。『言う』の『おっしゃられる』。『見る』の『ご覧になられる』。『行く・来る・いる』の『いらっしゃられる』『見えられる』『お見えになられる』『お越しになられる』。『する』の『なさられる』。『している』の『されておいでになる』。『食べる』の『召し上がられる』『お召し上がりになる』『お召し上がりになられる』。『来ている』の『お見えになられていらっしゃる』は多重敬語である。
つぎたし敬語自体でも、『お(ご)~になられる』『お(ご)~になっていらっしゃる』『お(ご)~される』『お(ご)~なされる』が使われている。使いはじめると、以前の言い方の価値が下がったように聞こえてしまう。敬意の低減は、ことばのインフレとも言える。たとえは悪いが、麻薬中毒で使用量が増えるのと似ている。」

「①『お召し上がりになる』の普及ぶり
図1-1で、『お召し上がりになりますか』は、高い使用率である。ピークの30代では4割近くが使う。早く広がったのだろう。集計データを詳しく見ると、女性に多い。食べ物に関わることばを若い女性がきれいに表現する動きに乗る。せめてことばだけでもきれいにしたいという女性の心理がすけて見える。
文化庁(1995)では『どうぞお召し上がりください』について意識を尋ねているが、『気になる』と答えたのは約1割だから、正しい用法の扱いでもよさそうだ。語源をたどれば『召し上がる』十『お~ください』の二重敬語だが、簡略にした『おあがりください』だと『入れ』の意味にもとれるので、『食べる』との区別のためには、認めていいだろう。
単純に『二重敬語だからおかしい』という議論は、過去を振り返ると、承服できない。『召す』がそもそも敬語だ。『お召しになる』(着る)、『お召し上がりになる』(食べる、飲む)も、語源をたどれば二重敬語、三重敬語だが、今は実用書、敬語用法の指導書にも、使いこなすべき言い方として、載っている。文化審議会(2007)の答申『敬語の指針』でも認定しているから、大威張りで使っていい。

②『お読みになられましたか』の地位確立
『お読みになられましたか』は、図1-1の30代前後では2割を超える使用率である。『お~になる』は、語源をたどると、物事が『成る』『自然に生じる』に基づくもので、高めるべき人の行動が逆らえないものであることを暗示する。その『なる』にさらに敬語の『られる』を付けるのは、行きすぎと言える。しかし文化庁(1995)で似た例の『お帰りになられました』が気になるか尋ねているが、『気になる』は2割程度である。強く非難されるわけではない。

③『御覧になられる』の進出
『御覧になられる』は図1-1で2割から1割の使用率である。『見る』の言いかえ『御覧になる』は漢字から見ても十分な尊敬語だが、さらに敬語の『られる』を付けている。

④『おっしゃられる』の勢力と抵抗勢力
『おっしゃられる』も、図1-1で2割から1割の使用率である。『言う』の尊敬語『おっしゃる』は語源にさかのぼれば、『仰せ十ある』だから、『おっしゃられる』は『三重敬語』とも言える。インターネット検索では『おっしゃられる』は55万件という多さだった(2016年)。二重敬語だからと言って、禁止するわけにはいかない。
そういえば出版社の人が『そうおっしゃられても……』と口ごもったことがあった。誤用とされる二重敬語なのか、正用の受身の用法か、突っ込みを入れようかと思ったが、どっちにしても『無理だ』と困っているのだから、黙って引き下がった。
図1-1では二重敬語は2割とか3割という低い使用率だった。しかし、それより敬意度の低い普通の敬語だと、大勢が使うと答える。『召し上がりますか』『お読みになりましたか』『御覧になりますか』『おっしゃいますか』などの正用を使う人は、4割か5割である。敬語は国民の半数以上が日常的に使う。ただし目上の人に敬語なしの答えも1割から3割を占める。相手や場面によって使い分けるのだろう。
以上は、尊敬語についての実際の使用のデータなので貴重である。これ以降扱うデータは、『気になるか』『正しいと思うか』などの、意識についての設問なので、解釈に迷うことがある。」

「『記入されてください』『ご記入されてください』の類が広がっている。『~(ら)れてください』は、すべての動詞に規則的に付ければいいのだから、作りやすく便利な言い方だ。丁寧すぎず、相手への要求(うっかりすると命令になる)を和らげることができる。『されてください』のインターネット検索結果は、何と約40万件近くに及ぶ。『来院されてください』『勉強されてください』のように色々な動詞に使われる。また前に『お』や『ご』が付くこともある。この言い方は九州から広がったもので、他の地方でも聞かれるようになった。九州では『(ら)れてください』で十分だったのが、前に『お』『ご』を付けて二重敬語にして、さらに丁寧にしたわけだ。『敬意低減の法則』があてはまる。
文化庁(2000)では『こちらで待たれてください』が気になるかを尋ねている。『気になる』が実に8割。壮年層に多い。まだ受け入れられていない。ただし九州では『気になる』が少なくて、九州起源であることを示している。東日本ではあまり耳にしない言い方なので、使わないほうがいい。
東日本では『れる・られる』は敬語で使われて以来日が浅いので、受身の意味に受け取られることが多い。次のような使用例は、不気味な意味に誤解されそうである。『付属のナイフで切られてください』『要らなくなったら捨てられてください』『庭の隅に埋められてください』。」

「聞き手本人や話題になった第三者どころか、聞き手の所有物にまで敬語を使う。ある言語学者の分析によれば、持ち主から切り離せない所有物と見なされるものほど、多く敬語が使われる傾向が見られる。『所有者敬語』と呼ばれ、他の言語でも似た現象『所有傾斜』が見られる。例は以下のよう。①身体部分、『天皇陛下の脚はめっきり弱くなられました』は自然な文である。②属性、『陛下の意識がおありになる』は、やや自然さが落ちる。③衣類、『天皇陛下のお帽子が少し古くなられました』は、自然さがさらに落ちる。④愛玩動物、『天皇陛下の愛犬が病気になられた』は、不自然。⑤他の所有物、『天皇陛下のお車が故障なさいました』は、もっと不自然。」

「『回送電車のためご乗車できません』のような表現は、ホームで耳にするが、本来は誤りである。『お(ご)~できる』は、謙譲語『お(ご)~する』の可能の言い方なのだ。『お(ご)~する』の『する』の部分を可能の言い方にするためには、『できる』という形を使うしかない。相手に恩恵を与えるような文脈の『お届けできます』『ご用意できます』のような例だ。
字句どおりだと『ご乗車できません』は、自分をへりくだって表す言い方『ご乗車する』の可能表現で、乗客が電車に(『御乗車申し上げる』ことができない》という意味になる。乗客が電車に敬意を払いながら、へりくだって静々と『ご乗車する』わけではない。
しかし図1‐4の文化庁世論調査を見ると、『ご乗車できません』について『正しい』と答えた人は1997年にも2005年にも6~7割になり、かなり認められたと考えていい。
乗客の動作『乗車する』の尊敬語なら『ご乗車になる』である。それができるという『可能表現』は『ご乗車になれる』が正しい。しかし長ったらしい。『お(ご)~できる』を、相手を高めて表す言い方として使うのは、誤用とされるが、実際には『買う』の『お求めできます』などはよく聞く。『お求めになれます』が正しいと、敬語の本には書かれているが。結局『お(ご)~できる』という言い方については、使い方がまぎれつつある。
『敬語の指針』では、『ご乗車になれません』以外に『ご乗車はできません』『ご乗車いただけません』などの言いかえを提案している。別の表現を持ち出して、問題を避けているわけだ。」

「第1章尊敬語についてまとめよう。尊敬語は用法が広がる傾向があり、生命力旺盛と言える。二重敬語は誤用として騒がれる。実際に目上の人に使う言い方を聞いたら、もっとも丁寧な言い方として二重敬語を使う人が多かった。敬語を使いこなし、誤用に敏感な壮年層が使っている。『気になる』と答える人も多いが、今後普及するだろう。
また面前の話し相手への敬意を高めるために、話題に出た人物や動物や物に尊敬語を使う傾向が見られた。相手をほめよう、持ち上げようという、人間に普遍的な心理の現れである。使われやすい言い方には『所有者敬語』の考えが適用できる。」

「謙譲語は、話し手が、自分白身(および自身の側の物や動作)を、卑下し、謙遜し、へりくだって表現する語で、言いかえ敬語の『うかがう』『いただく』、つぎたし敬語の『お~する』などである。謙譲語は、『受け手敬語』とも呼ばれる。
謙譲語は、敬語の中でも使いにくい。まず相手を持ち上げるために自分を低めるという論理が回りくどい。また使える動詞・文脈が限られる。謙譲語は形としてはすべての動詞の前後に『お~する』を付けて作れるが、実際には相手に働きかけのあるような、恩恵を与えるような文脈でしか使われない。『お待ちする』『お持ちする』『お下げする』『お待たせする』『ご迷惑をおかけする』などは、使う場面がすぐ思い浮かぶ。しかし『お殴りする』『お盗みする』と言うためには、巧妙な場面設定をしないといけない。選挙候補者の『お訴えします』は謙譲表現としてぎりぎりの許容範囲だろう。
このように、謙譲語は使用範囲が限られる。家庭でも学校でも尊敬語は何かと使う場面があっても、謙譲語はあまり使われない(図6‐15)。若い世代は用例を耳にする機会が少ないので、たまに使うと間違って、誤用としてあげつらわれる。謙譲語は間違いやすい敬語の筆頭で、しかも誤用に対する目も厳しい。これを使いこなせれば、敬語を一応マス
ターしたことになる。」

「語源にさかのぼって違いを覚えれば、間違いは避けられる。『お~する』は、昔は『お~いたす』と言われていた。『いたす』は本来『至るようにする』『力を尽くして結果としてもたらす』『心をこめて事を行う』の意味だった。『雑用は私どもがいたします』などの例を思い浮かべれば『お~いたす』が自分側の動作を言う謙譲語であることが分かるはずである。この簡略化と分かれば、『お~する』が自分側の動作をへりくだって言う謙譲語であると、納得できるだろう。
それに対して『お~になる』の『なる』は語源から言うと『成る』『生じる』で、『自然に変化する』意味である。『実がなる』『大人になる』などが典型例。日本語の敬語、ことに尊敬語では、自然に何かが生じたかのように表現することが多いが、『なる』もその一つだ。古風な敬語で殿様などが『来る』ことを『お成り』と表現したことと結びつければ、誤用がなくなるはずである。」

「『まいる』は今用法を広げつつある。図2-9は『あの方は、昨年東京にまいりまして、大学で教えていらっしゃいます』という文脈である。文化庁(1998。2005)で『正しくない』の答えは30代がピーク。ただし1998年報告から7年経って、2005年報告で『正しくない』が全年齢層で減っている。『いらっしゃって』が正しい言い方だ。人々は誤用に鈍感になったのだ。
謙譲語の『まいる』に『られる』を付けて尊敬語のように使うことがある。文化庁(2001)で年齢差が分かる。図2-10で、『まいられています』が『気になる』のは中高パターンだが、これまでと違って50代がピークである。若い人は『られる』にたぶらかされて、正用扱いしているのだろう。『まいられています』は誤用である。『いらっしゃっています』『いらしてます』などが正しい。
現在の動きをみると、謙譲語は地位を危うくしつつある。尊敬語との区別が怪しくなっている。また本来の動詞としての意味を薄めて、助動詞のようにも使われる。かつて謙譲語『参らする』は、『まらする、まっする、まする』などを経て、『ます』という丁寧語助動詞になった。それと似たプロセスを今『まいる』がたどりつつあり、謙譲語から丁寧語へと用法を変えつつある。」

「この章で挙げた謙譲語は、丁寧語を使う『ですます体』の中で(または『~ください』の文脈で)、用いられている。『ですます』なしで、『参る』『伺う』と言うのは、時代劇のことばの感じがする。これは現代の謙譲語が機能をせばめて、丁寧語と結びついてのみ使われることを意味する。また第4章で見るように、『ていただく』が謙譲語に代わって使われるようになった。さらに第9章でまとめるように、謙譲語の一部は丁寧語と似た機能をにない、謙譲語Ⅱという用法を発達させている。将来謙譲語は活力を失うだろう。株の値段よりは自信を持って予測できる。」

「以上、謙譲語について述べた。世論調査で誤用例を挙げると、人々は敏感に反応する。謙譲語の誤用について留意するのが、敬語が不得手な人へのお勧めである。尊敬語に比べると、使う機会はそう多くないが、謙譲語を使いこなせれば、敬語の達人という印象を与えることができる。
謙譲語は尊敬語と形と用法がまぎれやすい。あまり使われないので、謙譲語は本来の機能が空洞化し、代理として『せていただく』が普及するだろう。将来の生命力が危ぶまれる。第4章でも関連現象について述べる。」

「今、丁寧語の一つとしての『です』の用法が変化し、発展しつつある。日本語の文には、動詞(が述語になる)文、形容詞(が述語になる)文、名詞(が述語になる)文の、三つがある。このうち動詞文には『行きます』のように『ます』が付く。名詞文には『山です』のように『です』が付く。形容詞文には、『寒うございます』のように『ございます』が付いた。ところが戦前から『形容詞十です』が広がりはじめた。『いいです』『美しいです』のように形容詞に『です』の付く言い方が許されるようになったのは、国語審議会(1952)の『これからの敬語』の段階である。これで『ございます』が退いて、『ですます体』が確立した。
さらに『です』は、場合によっては動詞やその変化形にも付くようになった。『行くでしょう』『行くんです』が先駆けで、『行くです』などが使われる。メールで『了解です』と書き、テレビで『~に注目です』『期待です』『感謝です』『感激です』などと言うのも、この変化の先駆けである。動詞の『~します』を『~です』に変えている。これを踏まえて、将来『です』はすべての文に付くようになると予測した。ところが、次に見るように、『です』のくずれた形『っす』で、予測がいち早く実現された。」

「丁寧語の一つ、『ございます』は、かつては盛んに使われ、名詞、形容詞だけでなく、動詞にも付いていた。『でございます体』は『特別丁寧体』『御丁寧体』とも呼ばれる。『ございます』の語源は『御座十あり十ます』で、『御座』とは天皇のいる場所『玉座』のことである。室町時代に『御座ある』が『ある』『いる』の尊敬語として使われたが、のちに『~にてござある』『~でござる』になった。
名詞十『でございます』は、『さようでございます』『上でございます』をはじめ、定型的な言い回しで使われる。ある航空会社の社内伝説。新米の客室乗務員が『ございます』を使い慣れないので、『おしぼりでござりまする』と言ってしまった。乗客の対応が臨機応変。かしこまって受け取って、『かたじけない』と答えたそうである。
形容動詞でも『~でございます』が使われる。『(父は)元気でございます』など。
形容詞文からは、『いいですよ』などの進出で、追い出されたが、形容詞を使ったあいさつに活躍の場が残されている。『お早うございます』『おめでとうございます』『お暑うございます』など。関西風に末尾の音の『く』が『う』に変わる点が厄介だ。
『動詞十てございます』は次のように古くから使われている。三遊亭円朝(1839-1900)の『牛車』『軒下に縄張りがいたしてございます』、森鴎外(1862-1922)の『鼠坂』(1912)『あちらの方に煖炉が焚いてございます』。『帝国議会会議録』『国会会議録』でも昭和20年以来多くの用例がある。『動詞十てございます』の『用意してございます』『書いてございます』などは、会議などで今でも使われる。
文化庁(2000)では『規則でそうなってございます』が気になるかを尋ねている。『気になる』が実に7割。庶民は使う必要がない。かつて『ございます体』は名詞にも形容詞にも動詞にも接続して、確固たる地位を持っていた、その名残である。」

「現代語では丁寧語体系が細分されつつある。順に『でございます体』『ですます体』『っす体』『である体』『だ体』と並べられる。『ですます体』と言うが、現代語では品詞によって『名詞十です』『形容詞十です』『動詞十ます』という使い分けをする。この使い分けは厄介だ。『です』から変わった『っす』は、用法が広がって、全部に付くようになった。
これにより現代日本語の丁寧語使用による文体は細分化された。ここから人間関係のとらえ方の変化が読み取れる。聞き手への配慮が際立つようになった。単純に目上と目下に二分するとらえ方が後退して、中間段階が多くなり、心理的親疎による使い分けが可能になった。日本社会の人間関係のとらえ方が変わり、敬語もそのプロセスを反映している。敬語が人間のコミュニケーションの情的・心理的側面に働きかけることによる必然的変化と言える。
『ですます体』は話しことばから文章語にも進出した。新聞でも読者向けの通知文などで使われるようになった。本や雑誌記事でも使われる。様々なジャンルで使える文体が増えたと言える。『ですます体』が敬意低減の法則によって、以前は使わなかったジャンルに広がったとも言える。丁寧語の活躍範囲が豊かになったわけである。
なお、『である体』の中に『ですます体』を混ぜて、読者に語りかける感じを出す書き方もある。文体の混用によって、用法を細分化している。私はこれまで使ったことがありませんけどね。」

「丁寧語についてまとめよう。丁寧語は発展の流れに乗っている。ことに『です』は発展の可能性がある。実際には『です』を短縮した『っす』が現れ、後輩口調として広がっている。おかげで日本語の文体は『ですます体』以外の多くの表現を発達させつつある。敬語全体の用法の丁寧語化への動きもあり、丁寧語全盛時代に向かっている。」

「現代日本語の敬語は、性格を変えつつある。古文の授業で苦労したような、平安時代の助動詞中心の敬語に代わって、もっと長い表現を利用するようになった。その一例として『~せていただく』が多く使われるようになった。『休ませていただく』『始めさせていただく』のように、恩恵関係・受恵関係を前面に出すことによって、目上目下という上下関係基準を薄めている。社会階層としての上下関係でなく、対話者間の心理的な関係が言い表されるようになった。『左右敬語』(水平の敬語、社交敬語)の例である。
『~せていただく』が広がるのは便利だからである。理論的にはすべての動詞に付けられる。しかし意味上の制約があり、抵抗勢力も大きく、変化・拡大は少しずつ進んでいる。」

「選挙で『お訴え(を)させていただき~』と言う候補者がいる。抵抗を覚える人が多いようで、新聞やインターネットで話題になる。NHKの世論調査でも評価が低い。違和感の理由は二つある。
一つは『訴える』という動詞との不適合である。世論調査によると、『~させていただく』の受容度は動詞によって違う。恩恵をもたらすような意味だとよく使われる。しかし『訴える』は押し付ける感じなので、『~させていただく』とは結びつきにくい。
もう一つは形の目新しさである。『~させていただく』の上に『お』を付けたとも、『お~する』の下に『せていただく』を添えたとも、見ることができる。『お~になる』の下に『れる』を添えた『お~になられる』と作り方が似ているが、こちらは二重敬語として非難される。『お~させていただき』も槍玉に上がりそうである。
ところが、インターネットで検索すると、『お~させていただく』は盛んに使われている。『お送りさせていただき』『お取引させていただき』『お引き受けさせていただき』の類が氾濫している。商業的な場面で庶民のことばとして使われる。
しかし『お訴えさせていただき』は、庶民ではなく、政治家が使う。政治家のことばなら、『国会会議録検索システム』で長期間の変化が分かる。1945年~2016年にかけての『お訴えさせていただき』は52件。最初の例は1992年だから、つい最近出た言い方である。ちなみに『お引き受けさせていただ~』が1986年から12件、『お送りさせていただ~』が1995年から35件、『お取引させていただ~』が2002年から2件だったから、『お訴えさせていただき』は多いほうである。
国会会議録は、議員という社会的地位の高い人の公的な改まった場での発言の記録である。何しろことばづかいに注意しないと、揚げ足を取られて、失脚することもある。用心深く原稿が用意されることも多い。そんな公的場面で前から使われていたのだ。ちなみに地方議会会議録もデータベースがある。『お~させていただく』は関西と首都圏に多く、東北と九州に少ないことが分かった。
出現の理由は『敬意低減の法則』で説明できる。元の言い方が使い古されて、敬意がすり減り、丁寧にひびく言い方が新しく登場するのだ。一般人と違う言い方だが、選挙などを通じて庶民の耳に入って広がる。普通のことばの乱れが若い人のくだけた場面から広がるのと逆のルートである。
後述(第6章)のように、敬語には成人後採用が見られる。そのいくつかは、ことばの規範意識が強い知識人や、高い社会階層の人が先に採用した。『お~させていただき』も、子ども時代から使われていた言い方ではあるまい。敬語の変化は多様なのだ。」

「新しい表現『せていただく』は、平等な相手との恩恵のやりとりの関係を示し、やりもらい表現・受恵表現と呼ばれる。受恵表現の増加は、敬語の発想の根幹に関わる。
『せていただく』という表現では、昔の身分差に応じた敬語使用は背景に退いた。従来の敬語の主流は、相手や話題の人物を高め、自分を低めることであって、目上・目下、地位の上下、ひいては社会階層、社会的地位という固定的な関係に結びつく設定だった。
『せていただく』では、代わりに、聞き手とその場の状況に即したことばづかいが、前面に出た。『~せていただく』は恩恵の有無に従って左右関係で使われ、その場の状況の把握により、一時的な恩恵のやりとり関係を表現する。聞き手への心理的配慮が優先する。同じ相手でも場合に応じて使い分けられ、場面やとらえ方が変わればお互いに立場が交替しうる。現代敬語の特徴、左右敬語、聞き手敬語にふさわしい表現である。『敬語の民主化・平等化』の現れでもある。
受恵表現は、その場の心理的なとらえ方によって左右される。『~と考えさせていただいております』などは、動作の直接の相手が考えにくい。第9章で扱う謙譲語Ⅱとそっくりな用法である。尊敬語の使い方で所有傾斜が働くのと似て、受け入れられるかどうかの段階性がみられる。
『敬語の指針』では、『~(さ)せていただく』の様々な用例を分析して、次の場合なら使っていいとしている。相手側または第三者の許可を受けて行い、そのことで『恩恵を受ける』という事実や気持ちのある場合。しかし個人によって許容度が違うと指摘している。『せていただく』の『恩恵を受ける』という用法の限定は、ゆるやかになり、かなり自由に使えるようになった。」

「この章についてまとめよう。『ていただく』は使いにくい謙譲語に代わって使われはじめた。現在着実に普及し、発展しつつある。恩恵関係・受恵関係という心理的要素を前面に出し、前近代的な社会階層の上下関係を背景に隠す点では、『敬語の民主化・平等化』の動きをよく表している。他方で、表現全体への配慮を増やすという、敬語表現全体の流れとも合致する。また、国語の古文の授業で読むような古語では、様々な敬語助動詞を使ったが、のちの時代にはふつうの動詞の本来の意味を薄めて、補助動詞として、敬語的用法を発展させた。『ていただく』はその典型で、日本語敬語の大きな流れの反映である。
前近代的な敬語は相手や登場人物の社会的地位を確認したら、自動的に使い方が定まる性格を持っていて(絶対敬語)、それなりに単純だった。現代の『ていただく』では聞き手との心理的関係についてその都度の配慮・調節が必要である(相対敬語)。意味上の制約があり、厄介な部分もある。『ていただく』を使っていいかの受容の範囲は、拡大を続けている。またサ入れことばを派生した。この点でことばの乱れとして非難されることも多い。新参者の悲劇だが、今後も広がるだろう。」

「この第5章では、マニュアル敬語を手がかりに、敬語の現状について考える。近頃世で騒がれるマニュアル敬語は、社会人、会社人になる前の段階の、形式化された敬語使用である。第4章までに挙げたように、問題敬語とされる現象は多いので、個人が採否を判断するよりは、どこかでまとめて一つに決めるほうがいい。これがマニュアル敬語発達の理由である。
一部の職種では接客用語などを徹底的に訓練する。マニュアル敬語の一種で、応用の利かない表現であることが多い。しかし入社以降、敬語の訓練が行われない職場があり、現場で先輩の指導を受ける程度のことが多い。結局は日本語敬語の衰退に結びつく。
『マニュアル敬語』は『バイト敬語』とも呼ばれる。コンビニでよく使われ、語源どおりコンビニエント(便利)な敬語なので『コンビニ敬語』とも呼ばれる。同列に置かれるのが、ファミリーレストランやファストフード店、コンビニなので、まとめて『ファミコン敬語』とも言われる。
マニュアル敬語にはそれなりの経済性があって、そのために広がっている。マニュアル敬語は、訓練の投資・費用のわりに売り上げや企業イメージの効果の大きい、コスト・パフォーマンスの高いことばづかいなのだ。最低限のサバイバルの敬語でもある。敬語を習得していない新卒者または臨時のアルバイト、外国人のアルバイターのためには効率的である。第6章で見るように、高校生は先生や上級生にも尊敬語をほとんど使わない。丁寧語『ですます』を使う程度である。そんな若者に、現場で実際に必要とされる最低限の敬語表現を教える。はじめは基本的な型から身につけさせ、その後場面を広げて応用させる、という仕組みで、スポーツと同じだ。
マニュアル敬語は、識者の非難・批判を受ける。従来にない言い回しを含むので、世の中で騒がれ、間違った敬語として非難される。『○○のほう』『○○円になります』のよう な、耳慣れない表現が標的になる。実際には世間一般に広がった言い方もあり、その場合は濡れ衣とも言える。しかし広がるからには心理的理由がある。新しい言い方の進出の背景には、とらえ方、つまり心理の変化がある。」

「マニュアル敬語として非難される言い方に、『よろしかったでしょうか』がある。ファミリーレストランなどで、入るとすぐに『禁煙席でよろしかったでしょうか』などと言われる。座ったあとだったら、『よろしかった』かと聞かれてもいい。ファミリーレストランなどでは、注文をとったら最後に確認する。そのときの言い方は、『ご注文は以上でよろしかったでしょうか』である。これを接客表現全体に応用したのだろう。
『よろしかった』はどうして拡張されたか。ぼかし表現の一種という説明がある。日本語の仮定表現で、『もし明日でよかったら』のように、未来のことであっても過去形にあたる『た』を使う。日本語以外に、英語・フランス語・ドイツ語などでも、過去形や仮定形・条件形などが丁寧な表現として使われる。つまり『た』は、現在の状況をじかに示すのでなく、完了したかのようにとらえて、丁寧さを表現しようとしている。これは丁寧さ起源説である。丁寧に言い表すために、直接的な指示を避けるというのは、人類共通の普遍的な心理的傾向である。全国に拡大する背景には、これがあてはまる。
方言起源説もある。『よろしかった』は地方で先行したようで、名古屋で最初に耳にしたという報告がある。NHK(1987)の世論調査によると、『よろしかったでしょうか』は、北海道と東海地方で多く使われていた。関東ことに東京付近には遅れて入ってきた。
北海道に多いのは、東北や北海道で『た』の用法が共通語より広いためだ。この地域では、『おばんでした』『おはようございました』とあいさつするし、電話をかけて名乗るときに『井上でした』のように言う。その基盤として、東北地方では、よその家を訪ねて、『井上さんいたか』と声をかける。本人が奥から『ああ、いたいた』と言いながら出る。共通語でも、待っていたバスが遠くに見えたら『来た来た』と言う。英語国民は、『バスが来つつある』と表現する。日本語の『た』は過去を示すわけではない。期待していたことの完了を示す。東北・北海道では共通語よりさらに用法を発展させている。これが背景にあって、北日本で『よろしかったでしょうか』が発生したと、説明できる。
某ファストフードチェーンでは『よろしかったでしょうか』を2003年に禁止した。別に料理の味が変わるわけではないが、イメージが大事な業種だからだ。さほどイメージを気にしないですむ庶民としては、『よろしいでしょうか』で十分である。自分では使わないほうがいいが、使う人がいても、大目に見よう。」

「『こちら、ご注文のトーストになります』は、生のパンとトースターを客のテーブルに出すのなら、正しい言い方である。テーブルの上でトースターのスイッチを入れれば、パンが焼けて、『おお、トーストになった』と喜べるわけだ。
ただ『になる』には『にあたる』という用法もある(もっとも手元の辞書にはこの用法は載っていない)。結婚式での紹介で『こちらの方がおじになります』のように、『にあたる』の意味で使う。別に結婚によって血縁関係が変わるためにおじに『なる』と言うわけではない。『父の弟、私の叔父になるのですが』『親が兄弟どうしだと子どもにとっては、いとこになるわけですが』『知人といってもいちおう恩師になるのかな』などの例もある。これは『変化する』ではなく、『にあたる』の意味である。
『になる』は、接客関係でさらに意味分野、適用範囲を拡大した。この言い回しは、『である』『です』よりも、柔らかい言い方だ。陣内(1998)は『になります』のイメージをグラフに示した。『になります』はすべて平均0点の線より上で、『丁寧』『好感がもてる』『柔らかい』などで好印象に結び付く。いわゆる敬語と違った表現法を開発して、新しい心理的関係を築くのだ。これが進出の理由だろう。『です』は中間的で、『になります』と逆の傾向を示し、『シンプル』である点がプラスに評価される。『でございます』は、意外なことに『丁寧』と『好感がもてる』以外は、平均0点の線より下になることが多い。硬くて機械的で仰々しいというイメージで、慇懃無礼な印象なのだろう。
『になります』は『です』などに比べると、直接断定する感じが薄れる。心理的に和らげる働きがあり、一種のぼかし表現である。このようなイメージを若い人が抱いているのだから、『になります』の普及は当然と言える。マニュアル敬語としてだけでなく、世間一般に広がっている。しかし乱用しないほうがいい。」

「商業でのマニュアル敬語は昔からあった。江戸時代の丁稚奉公でも、決まり文句を覚える必要があった。昔の遊郭、江戸吉原でおいらんが使っていた『ありんすことば』も、地方出身の遊女が、出身地がばれないように身につけたと言われる。
デパートでは、ささやかな言語政策として、昔からことばに気をつけていた。デパートの敬語は、案内アナウンスも『ばか丁寧』だが、店員にも応用のきく言い方を指導していた。典型は、『お買い得になっております』とか『お徳用』で、下町の店なら『安いよ』と言うところだ。同様に航空会社の客室乗務員なども敬語に気を使う。ことばづかいが接待の一つで、待遇の段階を示すからだ。よくある接客場面では、使いこなしが難しいから、マニュアル敬語が普及した。しかしコンビニ敬語はレバートリーが狭い。
様々な若い人が一時的に働くコンビニの敬語は単純だ。マニュアル敬語は、最低限の敬語、サバイバルの敬語である。コンビニやスーパーの店員が習得する敬語は、客も頻繁に耳にする。だから世の中で話題になりやすいのだ。実は世間に広がっている言い方も含まれるので、濡れ衣の場合もある。」

「なぜマニュアル敬語が気になるのか、考えよう。第一には、従来なかった言い方だからだ。しかし採用され、広がるのには理由があるはずだ。良さがあるからこそ広がる。マニュアル敬語の実例をみると、ぼかして言う、という共通原理が見つかる。
『ぼかし表現・あいまい表現』が日本語ではよく使われる。漠然とした言い方をするのは、古来の(また世界に広い)傾向で、相手への心理的配慮の表現であり、敬語の様々な面に表れる。これも敬語・待遇表現の周辺部に位置づけられる。昔から量り売りのときには『りんご三つほどください』などのような言い方をしていた。かつて『一応学生やってます』『~などしてます』『お茶とかどう?』のような表現があった。『~っぽい』『~的な』『~入ってる』『好き、かも』などの若者ことばを含めて、かつて騒がれた。これも、ぼかして言って、相手に単刀直入に結論を押し付けないという意味では、聞き手に配慮した表現である。敬語の周辺部にあたる、広い意味での敬意表現・待遇表現と言っていい。」

「マニュアル敬語の実例をみると、ストレートに言わないという共通原理が見つかる。マニュアル敬語の進出の根本原理として、『トイレの名前と敬語は変わりやすい』と言える。トイレの言い方は、会話ではタブー(禁忌)に近いから、新しいものに変わる。古い言い方は、昔の『便所』の臭いのように文字どおり『鼻について』、すたれてしまう。『雪隠』『御不浄』『お手洗い』『化粧室』『おトイレ』など様々に呼ばれた。
日本語の敬語の起源もタブーに基づくと言われる。タブー表現の本質は、指し示すのが恐れ多いので、直接指示を避けることにある。その点では、『あいまい表現・ぼかし表現』と深い関連性がある。古代敬語の起源の現象が現代敬語の最先端にも働いているのだ。ファミリーレストランのことばとトイレを一緒にするのは、『みそもくそも一緒』の現物に近すぎるが。」

「第5章をまとめよう。マニュアル敬語は、最近コンビニやファストフードのチェーン店が増えて、客がよく耳にするようになったので、話題になるが、根本を探ると、古いところにさかのぼる。それぞれのマニュアル敬語には、発生と普及の理由がある。むげに否定することはできない。ほかの人の論理を思いやる温かさ、受け入れる鷹揚さが人生には必要である。
以上第1部では、いわゆる敬語と、その周辺の現象について、具体的な調査資料に基づいて、論じた。ことばの乱れとして非難される言い方は色々ある。その多くは今後も増えると予想される。尊敬語は進出を続ける。謙譲語は衰えて『ていただく』に機能を譲り、丁寧語は使い分けが細かくなる。一方でマニュアル敬語によって、表現の画一化が進む。『乱れ』はいずれ『変化』と位置付けられる。ことばは常に変化する。我々はその現場に立ち会って、体験しているのだ。第9章でまとめる。」

「日本人が敬語をいつ身につけるか、手がかりになる現象のもう一つは他人に対して自分の母親を『母』と言うようになる年齢である。戦後まもなくの実地調査があり、その後の追跡調査も行われたので、変化の進行(慣習の衰え)が分かる。
図6-4のグラフは見慣れないだろう。先生相手のときに自分の母親を『お母さん』でなく『母』と言う人の割合を、折れ線グラフで示した。3回の調査の学年ごとのデータを生年によって並べかえた。左が昔(年上)、右が今(年下)で、高校(3年)生の記号を大きくした。右下がりのカーブが繰り返される。1960年の第1回は、東京の山の手と下町の調査である(柴田1978)。太線の山の手では、高校生(1940年代前半生まれ)の100%近くが『母』と言っていた。中学生でほぼ半数、小学校5、6年生(1950年前後生まれ)で1割以下だった。点線の下町では、高校生でも『母』と言う人の割合は少なかった。しつけに地域差、社会階層差がありそうだ。その7年後静岡での結果(鎖線)では、高校生の使用率がやや低いものの、パターンは同じだった。この場合の右下がりの線は、減少を示すのではない。左上がりに成長に従って採用する過程を示す。
大学でこの話をしたところ、先生相手に話すときと友達と話すときでは違うという指摘があった。図6-4右側の2000年の大学院生のレポートの細線を見よう。大学生(1980年前後生まれ)も調べたが、点線の友達と話すときだと『母』と言う人はほとんどゼロである。『お母さんが』とか『お袋が』のように言うのだ。先生相手でも『母』と言う人は8割以下にすぎない。高校生では4割に減った。身内に対しては敬語的な言い方をしてはいけないという規則は失われる寸前である。グラフのパターンは第7章で見る『川の字変化』にそっくりである。
なお尾崎(1989)は、『母』への呼びかけと言及の表現も扱っており、『母』の完全採用が札幌では20代以降であることも示している。2003年頃の東京の調査では『母』の使用率はさらに低くなった。
敬語、特に謙譲語を使いこなす知識を身につけるかどうかの最初の手がかりは、『母』をどの程度使うかである。家庭内でしっかりしつけしてあれば、会社に入っても、迷うことはない。大学生全員が、『母』と言うのを期待していたが、最近はそうではない。家庭のしつけが疑われるので、今からでも遅くはない。きちんと身につける必要がある。
新聞に面白いことが書いてあった(1999年9月22日/朝日新聞『かたえくぼ』)。

教育目標  小学生に英語  大学生に敬語  ――文部省

『母』と言う段階で身につけるのは、『家族』『身内』という使い分け基準である。さらに進んで、身内には謙譲語の『まいる』『うかがう』『お~する』を使う能力まで習得してほしいが、一度には荷が重すぎる。第2章でみたように、『あす父がまいりますが、お目にかかっていただけませんか』のような誤用の巣窟が謙譲語である。図6―15で見るように、謙譲語を使いこなすのはもっとあとで、現代では会社員の段階で実用に供される。
まとめよう。よその人に向かって『おかあさん』でなく『母』と言う時期は、中学か高校である。しかし以前に比べて、このしつけは行き届かなくなった。ただし一度習得した人は、この原則を忘れない。従ってこのあとの社内敬語も身につけやすい。」

「乱れた日本語として騒がれた現象を世論調査で見ると、一般的に若い人が多く使う。しかし使用率最大の年齢層がいつも10代とは限らない。20代、30代がピークということがある。敬語の誤用論議でよく取り上げられるのは、『あげる』である。母親が自分の子に『うちの子に離乳食をあげていいでしょうか』などと言う。『自分の子どもにアゲルはおかしい。ヤルと言うべきだ』という投書やエッセイもときどき見られる。
文化庁(1995,2001, 2006, 2016)の4回の調査で20年間の変化が分かる。実際に『ふつう使う』言い方を聞いているので貴重である。図6‐6の『うちの子におもちゃを買ってあげる』の文脈だと、4回の結果の線がほぼ重なる。若い人が多く使い、のちの調査ほど増える。(第1回を除くと)いつも20代がピークで、10代は使用率が低い。右を向いたタツノオトシゴが並ぶように見える。
同じ生年の人がのちにどうなるかは、グラフの縦の位置を比べれば分かる。4回の結果
の線が少しずつ上にずれて、のちの調査で同じ年齢層(コーホート)の人が多く使うことを示す。目立つのは、1995年と2001年報告の男性の10代で、のちの調査で20代、30代になって、『あげる』の使用率を5割前後から8割まで増やしている。20代以降になって『あげる』を多用する。つまり社会人になって、男っぽい言い方『やる』を捨てると、読み取れる。付き合いはじめた女性の使用に合わせるのだろうか。
図6-6の左側、タツノオトシゴのしっぽの部分を見ると、男女差が大きい。上に女性、下に男性が位置する。また、同じ年齢層(コーホート)の人が10年、20年後の調査で男女とも『あげる』を多く使う。人生いくつになっても、言語習得が続くわけだ。4回の線がのちの調査で上に移ることから見ると、『あげる』の採用は年をとっても続く。
図6‐6は、『関心があるか』とか『気になるか』などの意見・意識でなく、実際に使う言い方を聞いている。尊敬語の図1-1、謙譲語の図2-1に対応する。3種のグラフを比較すると、この『あげる』の年齢カーブがとりわけ急である。尊敬語、謙譲語と違って、戦後になって急速に広がった。4回を通して見ると、20年経っただけで『あげる』は若い世代で5割程度だったのが8割に増えた。これだけ使われていれば、『あげる』は誤用とは言いにくい。
調査を繰り返すと、使用率が増えて、大勢が使う。かつて使用率増加に着目して、

言い間違い3% → 誤用25% → ゆれ50% → 慣用75% → 正用97%

という過程を図化したことがある(井上1989)。それにあてはめると『うちの子にあげる』は最初は『誤用』『ゆれ』だったが、慣用としての地位を確立した。今後も広がるだろう。
なお『植木に水を』の文脈では、『あげる』が2割だが、2016年には3~6割になった。『相手チームに点を』でも、『あげる』が3~4割に増えた。もういちいち目くじらをたてるわけにはいかない。
とらえ方も変わった。文化庁(2002)では、『花に水をあげる』が『ことばの乱れか』と尋ねている。『ことばの乱れ』と答えた人は2割以下にすぎず、実に5割が『そういう言い方をしても構わない』と答えている。これを踏まえて、『敬語の指針』では、人間でなく植木に水を『あげる』について、『定着しつつある』と表現している。
近代の(東日本の)日本語では身内への敬語は控えるという原則が現れたので、『自分の子ども』になら『やる』と言うべきである。しかし『やる』は乱暴にひびくので、一部の女性が丁寧に言おうとして、自分に関わることにまで『あげる』を使いはじめた。まず人間であることから『自分の子ども』に『あげる』を使った。その後犬のようなペットに広げ、植木や花にまで広げた。これが各調査の使用率の違いとして表れている。『あげる』の用法はさらに拡大している。『子どもを信じてあげる』『発酵タンクを冷やしてあげる』と言うし、カッコの中に数値を『入れてあげる』とも言う。ことばの変化が、意味から見て論理的な順番で(第1章、所有傾斜に従って)、徐々に進むことがよく分かる。うちの子に『あげる』は、身内敬語の原則に反するが、戻しようがない。
『あげる』は語源にさかのぼると、神棚にお供え物を上げる動作に結びつき、謙譲語である。『うちの子にあげる』を慣用・正用と位置付けるために、『美化語』という分類が必要になった。第9章でまとめるように、本来の敬語用法を拡大したとらえ方である。
『あげる』のグラフは、いわゆる『ことばの乱れ』『言語変化』の典型である。若い人に多いが、ピークは10代ではなく、20代以降になる。このあと、使用ピークの年代がもっと上になる現象を見よう。『お』の付くことばを扱うが、『美化語』に分類される。」

「3回の調査を通じてデータの得られた人々全体として、のちになるほど長くなるという傾向は、個人ごとに視覚的に確認された。ここには掲げないが、第1次と第2次の共通サンプル185人、第2次と第3次の共通サンプル62人も、同様に表示した。ともに同様の線を描いて、増加傾向が認められ、平均値も多くなった。
表7-1に典型的な回答文を挙げよう。調査に3回協力した1937年生れ・男性(図7‐2の最後)の荷物預け場面の回答である。若いときはぶっきらぼうだったが、年をとるほど色々なことを言語化するようになり、長くなった。
回答文は、こんな形で、同じ人が19年後、36年後に色々なことを言って長くなった。第3次で『ていただく』を使っていることも注目される(第4章)。第8章の考えを先取りして説明すると、表7‐1の第3次には本題以外に様々なことを囗にしている。第1次の若いときにも言ってよかっただろう。しかし思ったこと、知っていることと、囗にすることは違う。ちょうど図6‐9の『わたくし』の事情と似る。若い人は知っていても使う動機がないのだ。または不要と思って省いているのだ。
この変化は、戦後の日本人のコミュニケーションの変化と符合する。昔は『不言実行』『腹芸』『以心伝心』『沈黙は金、雄弁は銀』が尊ばれた。しかし欧米化に伴い、言語に表すことが奨励されるようになり、『言わなくても分かる』のでは通じなくなった。以前に比べて、言語化することが多くなった。スーパーやコンビニエンスストアなどでも、レジ係は行動をことばに表す。医師なども患者への説明を求められる。つまり対話の相手との心理的関係を重視して、ことばにする必要が大きくなった。岡崎調査の文の長さの成人後採用は、近代以降の世の中の大きな流れの反映と見なすことができる。
文が長くなるのは、岡崎の住民構成が変わった(よそものが増えた)という理由によるのではない。実時間の差を見ることによって、個人の経年変化、加齢変化が実証できた。これこそ同一人物を追跡して行うパネル調査のよさである。まったく機械的に回答文の長さを比べるだけでも、一定の傾向が見えた。敬意や丁寧さに関わる現象を数量化するのは、困難を伴う。敬語の段階は多くしにくく、主観が入りやすい。しかし、文の長さの測定は簡単である。以下の分析でも便利な指標として利用する。」

「敬語における文の長さの相互作用について考えよう。『ていただく』が増え、丁寧さを示す表現が増えたから回答文が長くなったのか?因果関係を知る足がかりが必要である。結論を先に述べると、敬語と長さには、正の相関がある。『ぼくだ』『わたしです』『わたくしでございます』を比べれば一目瞭然である。
その理由は一般理論で説明できる。二つの理由がある。一つ。敬語を使えば前後にことばが付け加わるから長くなる。日本語のような膠着語では敬意を示すのに特別の要素(つぎたし敬語)を前か後に付けることが多いので、その分長くなる。
もう一つ。『使用頻度数と語の長さは反比例する』という言語経済の原則が働く。よく使われると、ことばは短くなる。あいさつ(ありがとうございますのアザース)や、略語(デジカメ、スマホなど)が典型だ。しかし敬語はあまり使われないから、長くてもいい。日本語では文の長さが敬語と深く結びつく。長さは便利な指標・道具になりうる。他の言語にも適用してみる価値がある。」

「岡崎敬語調査の成果は、以下のように要約できる。岡崎市の戦後半世紀にわたる敬語調査で、大きな変化が見られた。岡崎調査自体から見出された社会言語学的現象として、『敬語の成人後採用』がある。これまでの敬語論でも指摘はあったが、実証的な調査で確認された。生年実年代のグラフで3回の調査結果を示すという技法から見えた成果である。
文の長さや丁寧さが、年をとると増えることが分かった。成人後採用を基盤に、『いただく』『ございます、です、ます』『わたくし』『あのー』など、各現象の相互影響関係を考えた。これらの増加は、回答文の長さにも影響する。
また談話機能要素の増加という視点からも分析した。その背景にあるのは、談話パターンの変化で、さらにその背後には、配慮の変化、人間関係のとらえ方がある。社会の人間関係把握が変わってきたのを、『民主化・平等化』の流れととらえることができる。社会の民主化・平等化がことばづかいに反映し、全体が丁寧になった。さらに大きくまとめると、岡崎の敬語は、半世紀(話者の生年を考えると1世紀以上)のうちに、聞き手=話し相手との人間関係に、より多く配慮するように変化した。話題の人物の身分や地位にはさほど配慮しないようになった。
この点は日本の共通語で進行中の変化と軌を一にしている。言語的表現として、いわゆる敬語、特に教科書で習う敬語のうちの尊敬語・謙譲語・丁寧語などに頼るよりも、談話全体で相手との関係を調整する傾向がうかがえる。広義の敬語、敬意表現、配慮表現、待遇表現、ポライトネスと言われる現象を駆使するように変化した。
この敬語変化の背景はほかの言語にも普遍的である。現代日本語の敬語で起こりつつある変化は、ヨーロッパ諸言語の2人称代名詞の用法における『力関係から親疎関係へ』と並行的である(第10章)。つまり身分や地位の上下による使い分けから、親疎関係による使い分けに変化しつつある。また、場面による使われ方の違いを見ると、依頼表現がことに丁寧になった。つまりかつての身分、地位による敬語の使い方と異なった基準が導入され、場面ごとの心理的負担や親疎関係が働く。このメカニズムも、敬語の民主化・平等化として解釈できる。
以上は、主に生年実年代のグラフを中心に考察して得られた知見である。つまり3回の調査での年齢などの言語外的(社会的)要因をもとにした分析だった。」

「日本語敬語の歴史の全体像を先に提示する。敬語は時代とともに変化するが、敬語の歴史的変化と、個人の習得順序は逆になる。生物学で『個体発生は系統発生を繰り返す』と言うが、敬語は逆である。
図9-1を見よう。敬語の歴史を見ると、図9-1の上から下に向かう。奈良時代には『いらっしゃる』などにあたる尊敬語しかなかった。平安時代になって『うかがう』などにあたる謙譲語が誕生した。丁寧語の発生は、平安以降の『はべり、そうろう』に見られる。室町以降は『ます』が発展し、『です』の進出は幕末以来、現在も発達を続けている。
『お花』『お茶』のように『お』を付ける美化語も広義の敬語で、中世以来着実に守備範囲を広げている。現代になって、その他の敬語的表現が広がった。敬語的表現に『マニユアル敬語』『コンビニ敬語』と言われるものも含まれるようになった。最近では人々の、また研究者のとらえ方が変化したのである。
しかし、個人が習得する過程はちょうど逆で、図9-1の下から上に向かう。子どもは、成長とともに敬語的表現を身につける(第6章)。園児の段階で『お茶』『お花』などの美化語を使う。小学校の授業で丁寧語の『ですます』を使う。しかし、『いらっしゃる』『うかがう』といった尊敬語や謙譲語をきちんと使いこなせるようになるのは、中学・高校以             降になる。人生経験を重ねて、ベテランの年代になると、みごとな敬語を使いこなすようになる。」

「敬語とは何かを考えるときには、『典型』(プロトタイプ、原型、理想型)というとらえ方が役立つ。時代とともに変化し、連続体をなして、境界が引きにくいときに有効である。
『敬語』は、学校の文法の時間には『尊敬語』『謙譲語』『丁寧語』と3分類していた。敬語は中心部分から周辺部分へと階的に広がる様相を示している。図9―1に示したように、尊敬語と謙譲語が敬語の一番中心的な典型的部分で、丁寧語はその周辺にある。さらにその外側に、ことばづかい一般がある。ぼかし表現・あいまい表現なども、この外側に位置付けられる。
ここで『敬語』のとらえ方(分類)について、3種類に整理しておこう。文化庁世論調査や国立国語研究所の各種敬語調査によると、国民、一般人が一致して『敬語』の実例としてとらえるのは、尊敬語と謙譲語だけである。つまり歴史的に古くからあった敬語である。これを『世論敬語』と呼ぼう。敬語に関する世論調査結果を読み取るには、『世論敬語』の結果であることを意識する必要がある。
これに対し、敬語論の通説では尊敬語・謙譲語・丁寧語の3分類を採用し、学校教育でも敬語の入門書でも用いられていた。近世以降確立した敬語である。『通説敬語』と呼ぼう。
文化審議会(2007『敬語の指針』では謙譲語を2分し、美化語を敬語と見なして、5分類を採用した。『指針敬語』と呼ぼう。近代に都会に広がった現象である。
一方、敬語のマニュアル本の類ではもっと多様な実例が扱われていて、『敬語的表現、敬意表現、配慮表現、待遇表現』さらには『マニュアル敬語』にあたる広い範囲が含まれる。現代社会で多く耳にする表現である。」

「まず敬語の基礎を固めよう。これまで大学の授業や一般人向けの講演などで敬語について語るときには、敬語を尊敬語、謙譲語、丁寧語の三つに分けていた。ところが文化庁(1997)の世論調査で、どれが敬語ですかと具体例を挙げて聞いてみたら、思いがけない結果が出た。図9‐2参照。謙譲語を使った『よろしくお願い申し上げます』と尊敬語の出る『あの方は何でも御存じだ』は、大部分の人が敬語が入っていると認めるが、ほかの文はほとんど敬語なしとされた。丁寧語が使われている『私は野菜を食べます』はわずか1割くらいの人しか敬語と認めない。実は以前に、国立国語研究所が愛知県岡崎市やある企業で行った調査でも、同じような結果で、『ます』が低いのは共通である。
一般人の敬語のとらえ方は学校で教わるとおりと思っていたが、違うらしい。国民の意識を尋ねてみると、『敬語』というと『尊敬語』と『謙譲語』だけを思い浮かべる人が多い。『世論敬語』と呼ぶ。『敬語』は、尊敬語『いらっしゃる』、謙譲語『うかがう』などをくっきりした典型として、『丁寧語』の『ですます』は周辺にあり、美化語の『お茶』などはさらに外側になり、周辺に行くほどぼんやりとした連続体をなすと考えられる。」

「通説敬語は、学校で教えていた敬語である。尊敬語・謙譲語・丁寧語の敬語の3分類で、これは覚えるほうがいい。中学校や高校の敬語の授業でも3分類は教えるし、この区別を心得れば、実社会で敬語の使い方に困ったときも、自分で判断できる。
『尊敬語は目上の人や自分の側に属さない人を高める言い方』、『謙譲語は目上の人や自分の側に属さない人に対して、自分側をへりくだって表現する言い方』、『丁寧語は聞き手に配慮した言い方』である。『仕手敬語』『受け手敬語』『聞き手敬語』という呼び方も、分かりやすい。尊敬語と丁寧語は『高める・たてる』という点で共通性がある。謙譲語は自分の側を『低めて』つまり『へりくだって』表現することで相手側を高めるという点で、他と違う。個々の誤用・正用の説明は以上の3分類の用語を使わなくてもできるが、類例をまとめて説明するときには便利である。本書第1~3章でも使って、何の支障もなかった。昔からあった道具に故障が少ないのと似ている。」

「ところが通説敬語の3種、尊敬語・謙譲語・丁寧語には、別の分け方がある。敬語論では、尊敬語と謙譲語を素材敬語、丁寧語を対者敬語と二分する。『尊敬語と謙譲語は話題の人物についての言い方』で、『丁寧語は聞き手への言い方』である。
『素材敬語』は『話題敬語、言及敬語、登場人物敬語』と言いかえてもいい。話題に登場する人物などに言及するときの敬語で、面前の話し相手とは限らない。尊敬語と謙譲語は話題に出た高めるべき人物に使う表現で、聞き手と一致したときにも使うが、その場にいない第三者の動作にも使う。例えば、『恐れ多くも前会長のお作りになった機械だ』と、今はいない前会長に尊敬語を使うし、『前会長のお孫さんにお見せしなさい』と、話題に出た子どもにも謙譲語を使う。『(お客さんが)いらっしゃるそうです』、『(係が)お届けすると言っています』などでも、その場にいない第三者の動作に使われている。
敬語はもともと、恐れ多い存在を囗にするときに使われはじめたもので、タブー(禁忌)を起源にする。『尊敬語・謙譲語』がこれにあたり、古代には神仏や天皇に言及するときに使われた。アジア各地の『王侯敬語』もこれにあたる(井上2011)。
これに対し、『対者敬語』は『聞き手への敬語・呼びかけ敬語』であり、その場にいる人に語りかけるときの敬語である。現代日本語の丁寧語『ですます』が典型である。どの段階を使うかで、『ですます体』『だ体』などの文体を決定する。またヨーロッパの諸言語で目の前の人に『あなた』にあたる2人称代名詞で2種類を使い分けるものもこれにあたる(第10章)。」

「文化庁の文化審議会は2007年に『敬語の指針』を答申し、『尊敬語』『謙譲語』『丁寧語』の三つに分類していた敬語を、五つに分類する案を出した。謙譲語をIとⅡに2分し、美化語を敬語と見なした。『指針敬語』と呼ぼう。5分類にするとどこが分かりやすく、どこに難点があるかをまとめよう。

謙譲語I・Ⅱの区別は用法の違い
『敬語の指針』で重要なのは、謙譲語Ⅱという分類を設けたことである。謙譲語Iは『お~する』や『うかがう』などで、本来の謙譲語である。謙譲語Ⅱは、丁重語と呼ばれたこともあった。『参る』『申す』『いたす』『おる』などの、謙譲語本来の用法から広がった使い方である。動作の受け手がなくても使うもので、『相手に対して丁重に述べる』とされる。
しかし『参る』は依然として『貴社には私か参ります』のときは、もともとの謙譲語Iとして用いられているし、『いたす』『申す』も謙譲語Iの用法を失っていない。つまり謙譲語Iは、謙譲語Ⅱと重なる用法を保ちつつ、守備範囲を広げている。単語自体を分類するのは、用法の広がりを説明するには向かない。
さらに言うと、謙譲語Iにとどまっているとされている語の一部も謙譲語Ⅱに近づきつつある。謙譲語Iの『うかがう』は謙譲語Ⅱの『参る』と用法が違うと書かれているが、その『うかがう』が、会議で『来月から施行されるとうかがっております』というふうに使われるのは、改まった場面で、できる限りの謙譲語を使っていると、解釈するほうがよい。『実家の親のところにうかがっておりまして』というのも、親に配慮して『うかがう』を使ったわけでなく、面前の相手に配慮したと、とらえられる。また謙譲語Iの『拝見する』の『近頃の新聞を拝見しておりますと』なども、謙譲語Ⅱの用法になりかけている。
『敬語の指針』が世に出た段階で、すでに別の語で用法の拡大が進んでいた。『お(ご)~いたす』は、『敬語の指針』でも、謙譲語Iと謙譲語Ⅱの両方の性質を併せ持つとした。『お(ご)~する』は謙譲語1で、『いたす』は謙譲語Ⅱに分類されるからである。
前著(『敬語はこわくない』)では、尊敬語・謙譲語が丁寧語と連動して使われることから、『敬語自体の丁寧語化』ととらえた。尊敬語については、第1章で述べた所有者敬語の考え方が適用される。謙譲語についても同様の所有者敬語のメカニズムが働いて、謙譲語Ⅱ(丁重語)を設けたくなったのだ。『相手に対して丁重に述べる』ときに、使いやすいものから、尊敬語や謙譲語を使うのである。
つまり謙譲語1・Ⅱの違いは、個々の単語の問題ではなく、その用法の広がりなのだ。謙譲語は本来の意味を薄めて、丁寧語と同じ方向に変化しつつある。尊敬語の用法が丁寧語に連動しているのと同じで、用法が拡大したからといって、分類を変えるのは、過剰反応である。言語変化が進行するときに、一斉に変わるのでなく、連続体をなして単語ごとに少しずつ変わることは、歴史言語学でも社会言語学でも、観察されていたことである。

美化語『お酒』『お料理』の連続性
『敬語の指針』では丁寧語のほかに『美化語』を認めているが、『お酒』『お料理』という語が、相手の提供する(または摂取する)『酒』『料理』を指すときには尊敬語として使われるわけだから、単語自体を分類することは、難しい。また単語により、話し手の性や年齢によって使用率が違うので、単語自体を分類するのは困難である。『あげる』も『美化語』として扱われるが、第6章で述べたように、現在急速に変化をとげており、用法の違いも大きい。『美化語』という用法はあるが、単語自体を切り取って、独立の単語のグループを作るのは、難しい。」

「マニュアル敬語は昔からあった。敬語の使いこなしは難しい。場面が限られているなら、必要な言い方を暗記するほうが楽だ。
江戸時代の庶民のことばを忠実に写した本によると、庶民どうしは『だ体』で、あまり敬語を交えずに話している。しかし現代はほぼ全国民がしかるべき場面では『ですます体』で、敬語を使うことが要求される。テレビのインタビューに答える人も、きちんと敬語を使うし、世論調査でも地方の方言でなく共通語で、敬語を使いながら答える。これがマニュアル敬語普及の背景である。ことばの画一化を、さらに進めることになる。」

「日本語の敬語は千年以上にわたって、登場人物重視から相手(聞き手)重視に変わってきた。丁寧語と同じ用法を発展させている。新尊敬語と謙譲語Ⅱと美化語の用法拡大は、その反映である。図9-4の矢印は、図9-1の矢印と一致している。敬語の理論分類としては、図9-4のように、基本的3分類、詳しくは6分類として表示できる。重点が左上の尊敬語から右下、外側のマニュアル敬語に移るという長期的変化が読み取れる。マニュアル敬語は隆盛の方向に向かいつつあり、マニュアル敬語に向かって、敬語使用の重心が移りつつある。
この背景には、誰に、どんな場合に、心理的距離を表現すべきかという、人間関係のとらえ方の変化がある。かつての敬語は、固定的な身分を背景に、話題として登場する人物への敬意を示したが、現在は目の前の話し相手への配慮を優先するようになった。これは人々の心のあり方(心配り)の変化と関係する。
新聞に、〈虫食い川柳〉というのがあった。□の中にあてはまる単語を入れるというもので、『あくまでも 口語で話す 嫁姑』とあった(朝日新聞2007年9月22日)。嫁と姑は微妙な心理関係にあるから、もちろん〈敬語〉である。これをもじって別の川柳を作った。『あれからは 敬語で話す 夫妻』。これが分かればことばのベテラン。
夫婦間の敬語使用には変化があり、戦後にはあまり使われなくなった。落語で東京の市電(都電)の車掌が若い女性客に『ですます』なしで注意する場面が出る。他の乗客が『ことばが乱暴だ』と言うと、車掌が答える。『実は女房なんで』。現在は公共場面では私的な関係をことばに表さず、『ですます体』を使うだろう。
敬語は心理的距離を表す。現代敬語は話し手と聞き手の心理的な関係を表すのにふさわしい方向へと変化しつつある。心理的距離は、日本語敬語の起源とされるタブー、敬避語でも働いていた要素だった。その後封建的な身分、地位、階級などが優先して、固定的になった。現代敬語では、依頼や負い目、負担の度合いによる使い分けが発達して、心理が前面に出た(第7章)。」

「以上の第9章をまとめよう。敬語を理論的に分類する三つの考え方を紹介した。従来の通説敬語(尊敬・謙譲・丁寧)は覚えやすいし、十分に通用する。『新尊敬語』を設定して6分類すると現代敬語の変化方向を説明できるが、複雑にすぎる。従来の通説敬語の3分類を使って、それぞれに用法の拡大、機能の発展が見られると、説明するほうが分かりやすい。誤用すれすれの敬語の多用は、現代敬語の性格変化として位置付けうる。話し相手への表現の敬意を上げるために、可能な部分に敬語を使うという傾向で、敬語用法単純化(経済的使用)の流れの一つでもある。さらには、現代敬語は敬語助動詞の使い分けから離れて、ことばづかい全体の使い分けを伴うマニュアル敬語の方向に変化している。
以上をまとめると、敬語3分類はそのままでいい。」

「以下では、敬語を日本語の歴史の中に位置付けてみよう。日本語の敬語は、長期的に機能が変化した。その背景を探ると、言語体系そのものに基づくものもあるし、また社会や文化に由来するものもある。次のようにまとめられる。

A 言語内の要因
A-1 敬意低減の法則
A-2 絶対敬語から相対敬語へ

B 言語外の要因
B-1 敬語の民主化・平等化
B‐2 敬語簡略化

敬語の変化には多くの現象があるが、敬語変化の要因は、A言語内の要因と、B言語外の要因に分類できる。具体的な背景としてはA言語類型と、B階層分化が考えられる。日本語のみならず、世界の敬語に法則的に、言語普遍的に、あてはまる現象もある。

A 言語内の要因
A-1 敬意低減の法則(言語普遍的)
敬語変化の敬意低減の法則は、日本語以外の言語にも見られる普遍的傾向で、全人類にあてはまると思われる。使っているうちに効果が薄れ、同じ語形の敬意の度合が下がる現象を言う。『待遇価値の下落』とも言われ、敬語の使用範囲が下の方へ拡大する。かつて言語学者・佐久間鼎が『水準転位』と呼んだ現象にあたる。意味の摩滅の一つと位置付ければ、さらに大きい言語変化傾向と関係する。深いメカニズムから言うと、相手を優位に立たせるという人間の心理に結び付けられる。
敬意低減の法則は、心理的効果低減の傾向、単純接触効果として、人間の心理の様々な面に共通して現れる。別の言い方が導入されはじめると、それまでの言い方の丁寧さが落ちたように感じられて、新型の普及にさらに拍車がかかる。ことばの歴史には繰り返しが多く、敬意低減の法則はいつも働く。
敬意低減の法則は、人間の相互関係を表すことばに、よく表れる。本書第1章で挙げた尊敬語の二重敬語の例、『ご覧になられる』『おっしゃられる』『おいでになられる』『お見えになられる』などは、非難されつつも、着実に広がっている。
典型例は、2人称代名詞で観察できる。『きみ』は漢字『君』に高い敬語の名残をとどめているが、今は親しい人相手にしか使えない。『きさま』は『貴様』という字面からみても敬意の高い言い方で、中世には武家の書面で使われたが、対等の相手へのことばになり、目下へのののしりに下落した。『あなた』も上位者に使われたが、今は目下にも使う。『おまえ』も丁寧度の高い言い方だったが今は目下へのことばになった。
敬意低減は呼称、呼びかけのことばでも見られる。名前を知らない人に『ねえちゃん』と呼びかけることがあった。それが上品なことば『おねえさん』『お嬢さん』に取って代わられたが、それさえも近頃は使いにくくなった。『先生』は歴史が古く、『先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし』という川柳を生み出したが、今も教師から、医師・議員・家庭教師の学生・タレントにまで広がっている。
敬意低減は、日本語以外にも多くの言語の代名詞や呼称で観察されている。ヨーロッパの諸言語では、中世以来2人称複数代名詞を丁寧な代名詞として使うようになった。フランス語のテュtuとvous、ドイツ語のドゥーduとズィーSieの使い分けである。丁寧な代名詞は、だんだん同等や目下、下の身分の人にも使われるようになった。英語では中世に2人称単数代名詞yhouと2人称複数代名詞youを敬語的に使い分けたが、丁寧な言い方のyouだけを残した。イタリア語やスペイン語では、2人称複数代名詞では敬意が足りないと考えられて、さらに程度の高い代名詞が使われるようになった。中国語では、『同志』の2人称代名詞としての用法が今は失礼にひびくのも同様である。
日本語では敬意低減が命令・依頼表現にも及ぶ。動詞の命令形も裸で使うことは避けられて、『~たら』とか『~て』のような表現も使われる。『~てちょうだい』は、今は子どもっぽい。『~てください』『~ていただけないでしょうか』などが取って代わった。
『お』が多くの語に付けられ、美化語として扱われるのも敬意低減の法則で説明できる。美化語『あげる』の多用も敬意低減による(図6‐6)。似た低減を示したのは、『食べる』で、古代以来『はむ→食う→食べる→いただく』と変化を重ねた(図10‐1)。また『いい→めし→ごはん→食事』『腹が→おなかが』『減った→すいた』のような変化もある。

A-2 絶対傲語から相対敬語へ(敬語自体の丁寧語化)
絶対敬語から相対敬語への変化は、日本語(と韓国語)に見られる。
日本語敬語の発展第1段階の絶対敬語では、話題の人の地位、身分により、敬語が絶対的に定まる。昔の天皇や関白が自分に尊敬語を使った現象に見られる。その名残は、『俺様がおっしゃるんだから、ありがたくうけたまわれ』のような自分への尊敬語に化石的に残っている。近畿地方などの身内への敬語も名残である。お嫁さんが訪問客に向かって義父の不在を告げるときに、『おじいちゃん おらはらしまへん』のように敬語で言及する現象である。
次の段階の相対敬語では、登場人物(第三者)への敬語が聞き手への配慮によって相対的に変わる。身内への言及の敬語を控えて『母はおりません』のように言うのが典型である(図6―4)。イエから会社組織に適用が拡大された(図0‐1、図6-5)。この傾向は、東日本で先行している。つまり現代共通語の敬語は、語形は西日本起源のものを採用しつつ、使い方としては東日本的なもの(または西欧的な使い方)になりつつある。」

「相対敬語化はさらに進んで、敬語自体の丁寧語化への動きもある。敬語の使い方全体が丁寧語に近くなり、連動するのだ。
典型は第三者への敬語で、丁寧語と連動する。生徒・学生が先生の姿を見て『来た来た』と言うのが例で、眼前にいない(聞こえる範囲内にいない)人には敬語を使わない。戦前の『日常礼法の心得』という本によくないと書いてあるから、すでに使われていたのだ。しかしこれは『だ体』で話しているときのこと。『ですます体』で話すとき(話題の人に聞こえる場合)には『いらっしゃいました』と言う。共通語の本来の敬語としては、話題の人物と相手を引き比べて、話題の人物にはあまり程度の高い敬語を使わないのが正しいとされるが、その原則に逆らう。例えば顧問の先生を前にして『先輩もいらっしゃるんですが』と言ったり、教授を前にして『(助手も)おいでになりました』と言ったりする。一段低い敬語を使うのは、難しい。その場に居合わせない第三者についても、改まった場では敬語を使うという新慣習である。
敬語変化の流れは現代敬語の様々な面に現れている。日本語敬語の歴史の流れの中で、最近の変化を考えると、聞き手重視・対者重視の傾向があり、対話、人間関係への配慮が見られる。中間敬語『っす』の進出(第3章)は、丁寧語の文体の細分化につながり、相手との関係をもっと細かく表す方向への変化である。また美化語とされる『お○○』も相手が幼児か若い女性だと多く使われ、成人男性相手だと使わないという違いが見られ、ここでも聞き手への配慮が敬語を左右するようになった。
丁寧語化は謙譲語の衰退(第2章)と同根で、現代日本語で特に目立つ。
以上いくつかの敬語変化を扱ったが、全体としては単純化に向かうもので、ことばの省エネと言える。敬語についても、法則的変化、一定方向への変化が観察される。文法などの言語体系内の要因に基づくものもあるが、敬語は社会的・心理的要因によっても影響を受ける。」

「3番目、敬語の民主化・平等化については、大勢がそれぞれ別の名を付けて論じている。上下敬語から左右敬語へ、身分敬語から役割敬語へ、地位敬語から商業敬語へ、序列敬語から社交敬語へ、力(権力)powerから親疎solidarityへ、敬意から心理的距離へ、縦社会から横社会へ、タテの敬語からヨコの敬語へ、ウエシタからウチソトヘなどと言われる。相互敬語、対話の敬語、平等・対等の敬語とも表現される。
敬語の民主化・平等化は、B言語外の要因の典型である。これまで中世的・封建的・身分制・階層分解などの概念を使って説明された。日本語以外にもいくつかの言語で観察されている。現代社会の民主化の世界的・普遍的傾向を反映したものと考えられる。敬語の民主化・平等化は、社会の民主化・平等化の変化に連動している。具体的には、最近の日本ではお互いに『さん』で呼ぶ会社が出て、増えつつある。逆行した国家もあり、北朝鮮の朝鮮語、イランのペルシャ語の権力者への敬語用法の復古調が興味を引く。
敬語用法の民主化・平等化の一つの現れは、以前なら目下扱いにして敬語なしで話しかけていた人にも敬語を使う傾向である。敬語使用の平等化、つまり対等な敬語である。この変化の行き着いた段階は、敬語の使用パターンが、以前は一方向的だったのが、双方向的に、相互に同じ程度の敬語が使われるものである。以前は、話し手・聞き手のうち片方だけが敬語を使い、もう一方は敬語なしという一方向的な使用場面があったが、最近は少なくなりつつある。年齢や地位に圧倒的な違いがある場合を除いて、同等の敬語を使う例が見られる。年上・目上の人が年下・目下に向かって敬語を使うことが多くなっている。
変化の手がかりは、誰が誰に対してどの程度の敬語を使うかである。目上・目下の関係は、従来日本語の敬語の使い分けの一番大きな基準とされてきた。文化庁世論調査などの結果をみても、若い世代には、目上・年上への敬語の使用基準や、敬語の使い方、敬語についての考え方の変化がみられる。昔風に目上・年上に自動的に使うわけでなく、場面と役割に応じて、必要なときに使い分けようという態度が芽生えはじめている。
どんなときに敬語を使うかについては、これまで世論調査でもいくつか聞いている。文化庁(1995)でも『目上の人には敬語を使う方がいい』という意見について賛否を尋ねているが、9割の圧倒的支持率だった。文化庁(1998)では、勤めている人に『職場に地位が下で年上の人がいたら』を尋ねている。『敬語を使う』は6割である。同じく『職場に地位が上で年下の人がいたら』でも『敬語を使う』は6割である。無難に敬語を使って、失礼のないような人間関係を形成しようとしている。
これらは、封建的固定的身分制度によって敬語が生じたという世界史的視点からみて、それと対立させる形で『民主化・平等化』と呼べる。
親疎関係優先の傾向は、大学新入生などの集団で見られる。初対面どうしでは、よほど年が離れていない限りは、お互いに『ですます』で会話をはじめる。親しくなると、お互いにタメ囗に変わる。これが平等な、相互的な敬語使用である。不均斉から均斉な敬語、対等な敬語への変化である。
B-2 敬語簡略化(無敬語化)
言語外の要因として、移住者の影響が考えられる。移住地・植民地での敬語未発達と帰国子女の敬語知らずは、その典型的な例である。敬語の使用機会がなく、家庭内無敬語になり、敬語簡略化につながる。明治維新を機に北海道の開拓地に移住した庄内藩士は、周囲の人に合わせて敬語を控えた。トルコ語と南アメリカのナワトル語にも敬語があるが、若い人は使わない。経済学では『悪貨は良貨を駆逐する』と言うが、『無敬語は敬語を駆逐する』と言える。
最近の首都圏でも敬語簡略化が観察される。具体的には、『タメロ』『タメ語』の浸透がある。この常体・友達口調(方言では北関東などの『無敬語』と言われる口調)が、敬語を期待する聞き手への不快感をもたらしつつも、浸透している。敬語自体でなく、非言語的な社会的・地理的状況のほうに、現代日本語敬語の流れの動因がある。
第6章で『母』と呼ぶ年齢がだんだん遅くなっていることを確かめた。敬語の習得の遅れはさらに進行する可能性がある。(一部の)学校の先生と生徒の無敬語を結びつけると、親疎関係を重んじて敬語使用を避ける傾向、または敬語使用基準のずれが、読み取れる。
遠い将来だろうが、日本語としての敬語体系は存続していても、若い人が現実に使わないという形で敬語の簡略化が進む可能性がある。
以上をまとめると、日本人は色々な敬語行動の基準を持っている。ふつうは意識されず、ことばにも表されないことが多い。成長のプロセスで身につけるが、その身につける知識に変化がある。昔は、目上だから丁重に扱うなどと言っていたが、今は、相手と親しいかどうかを考えるようになった。敬語を使うと親しみを表せないから使わないという人が出る。これは西洋化と言えるし、近代化と言える。目の前にいない人に敬語を使うのは前近代であり、目の前の人に配慮するのは近代だと言える。近代化・西欧化の方向に向かっているという考え方を適用すると、かなりの敬語変化がその枠組みに収まる。
本書では、現代日本語に見られる敬語変化を挙げ、そのメカニズムを考えた。語形、文法機能、社会言語学的用法の変化など、様々な着眼点から説明した。同様の敬語変化は、言語類型が違う言語でも、社会構造が違う言語でも、観察できる。」

「第8章まで、現代敬語で話題、問題になっている『乱れ』の具体例を挙げた。大部分に、発生と普及拡大について合理的な説明がついた。言語体系に基づく理由もあれば、社会のあり方に関わる理由もあった。社会が変わればことばも変わる、ことばはいつも変わると言える。
個々の表現は使用者を増やし、使用場面を広げ、使用率を高め、社会的にも地域的にも拡大する。識者が気づいて『乱れ』として糾弾する頃には広がりきっている。やがては使用者を拡大して、言語変化として位置付けられ、『ゆれ→慣用→正用』になる(第6章)。
このように、ことばを選ぶ背後には、心理がある。ことばは単なるコミュニケーションのための記号体系ではない。話し手についての様々な情報も与える。またことばを調節することによって、相手の心も動かすことができる。この技術は熟練労働として経験を重ねて、ベテランの段階で身につく。成人後採用の典型である。弁論術・修辞法以前に、日本語では広義の敬語の使い方が、まず一番に効果的な手段になるのである。
時が経つにつれて、人々は色々なことをことばで表すようになった(第8章)。会話の場面では、個々の敬語よりも全体の言い表し方が作用する。敬語が不足していたり、間違っていたりしても、思いやり、気配りがあり、心を動かす表現があれば、コミュニケーションはうまくいく。ことばづかいの技術・習慣は幼いときに身につくのでなく、成長とともに、周囲の影響を受けて、採用される。経験がものをいうが、この点についてもある程度の定型や規則性があり、マニュアル敬語に一部採用されている。
実は敬語以前のあいさつ行動が、人間関係の維持に重要である。人の評価にも使われ、犯人の人物像描写に、近所の人にあいさつするかが報道される。コンビニでも、『いらっしゃいませ』のあとに『こんにちは』を付けるようになった。これで万引きが少なくなるという説もある。ある留学生はコンビニで『こんにちは』のあいさつを律儀に返していたそうだが。」

「言語分析の短い単位である音声や音韻の現象は、生育後まもなく習得され、成長後にも変動することは少ない。それより長い単位の単語は、幼児期以降急速に増え、壮年期以降も新語・新表現を取り入れる。さらに単語をまとめる働きのある文法現象は、幼児期以降少しずつ習得され、思春期には一応完成し、その後変わることは少ない。敬語や談話パターンは、さらにその上にかぶさる長い単位と位置付けられる。習得は思春期前後と考えられ、長期にわたって続く(第6章)。『敬語の成人後採用』が認められた。
とはいえ、敬語やしぐさ、身だしなみなどについては、家庭によっては幼いときからのしつけが行き届く。ちょっとしたしぐさにも家庭のしつけが表れる。ことばづかい、特に敬語には大きく表れる。
家庭内のことばはうかがい知れないことが多い。あるときスーパーマーケットで『おかあさま』と呼ぶ声がしたので、後学のために見に行った。ごくふつうの親子だった。一方夫婦間で敬語を使うご家庭もある。家庭のしつけのおかげで、中学生で『母』と言及できる子もいる。ある女子学生は入学当初は『あの方お化粧が濃くていらっしゃるわね』と言っていたが、いつのまにか周囲に合わせて『あの子キャバスケよ』と言うようになったとか。『朱に交われば赤くなる』のことわざどおりだ。今の子は大変だ。ことばを周囲に合わせないと、浮き上がってしまう。いじめにあうかもしれない。お育ちの良さを表してはいけない。せっかくの敬語能力を発揮できない。
だからといって、ことばのしつけが不要になるわけではない。家庭の働きが衰えた分を学校がにない、その不十分な部分を社会・会社で引き受けているのだ。そこで至らない点は個人の自己責任である。」