小布施と松代への旅ーその4、松代、真田邸、松代城

松代は松代地震、旧大本営移転場所として知ってはいましたが、町の場所も知らず、勿論来たこともありません。小布施のすぐそばにもかかわらずです。真田氏所縁の地ということも知りませんでした。

バスは松代宮坂酒造店の駐車場に留まります。すぐに真田邸と松代城跡へ向かいます。

広大な真田邸が見えてきました。
江戸時代末期(元治元年=1864年)に、松代藩9代藩主 真田幸教が当初 義母お貞の方(貞松院)の住居として建築し、やがて隠居した幸教の住居となり、明治以降は、真田家の私宅となりました。昭和41年(1966年)には真田家伝来の宝物とともに、長野市に譲渡され、今に至ります。
 敷地内には主屋(御殿)と表門、7棟の土蔵などの附属施設に加え、庭園が一体のものとして残されており、全国でも少ない御殿建築の遺構です。
松代城跡の建築物として唯一、当時のままに残った貴重な建物で、間取りなどに武家屋敷の面影を色濃く伝えています。小堀遠州の流れをくむと伝えられる池山回遊式の日本庭園が四季折々の彩りと風情を楽しませてくれます。
表門です。冠木門(かぶきもん)という様式です。南北に長屋が付属しています

小堀遠州の流れをくむ日本庭園です。
冠木門に続く長屋です。

松代城は武田信玄が川中島の戦いのために築城した海津城がその始めです。1622年真田信之入城し、1711年松代城に改名されました。

城は千曲川の反乱、善行寺地震、火災などで度々被害を受け、修復されましたが、先ほど見てきた真田邸が建てられてからは、城の再建はされなかったようです。

太鼓橋と南の櫓門
内堀

北の櫓門

真田邸の西側の土塀です。

六文銭の家紋は真田家の家紋として誰もが知るところです。三途の川を渡る際に六文が必要だったことから、葬儀の際に用いられます。

家紋としての意味は、「いつ命を落としても大丈夫なように、六文銭を常に身につけておく」すなわち、「常に命をかけて戦いに挑もうという心意気」「武士たる者、いつ命を落としても悔いが残らない戦いを」という気概から来ている物だそうです。

中学高校の同級生に真田君という剣道がやたら強い子がいました。家紋はやはり六文銭でした。但し分家とのことで、横ではなく縦に二列からなる六つの銭が並んでいました。

真田勘解の家です。

満開の八重桜です。

 

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